初音くろ

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昨日のテーマ
《理想のあなた》





一目惚れという言葉がある。
文字通り、一目会ったその瞬間に恋に落ちるという現象だ。
そんなものは漫画やドラマの中でだけ、もし現実にあるとしたらよほど惚れっぽい奴の身にだけ降りかかるもの。
どちらかと言えば現実主義者な自分には全く無縁で、決して起こる筈のない事象だと、ずっとそう思っていた。

大体、顔が好みだとしても性格が合わなければ話にならないだろう。
それに、容姿なんてものは歳月を経て変わってしまう可能性もある。
始まりが一目惚れだった場合、あっさり醒めてしまうかもしれない。
そんな程度の想いで惚れた腫れたと騒ぐのは相手に対しても不誠実じゃないか。

そう、思っていたのだ。ほんの数分前――彼女に出会うその瞬間までは。


容姿に対して、特に好みなどというものはないと思っていた。
だが、それは「理想の顔立ち」というものに巡り会っていないだけだったのだと、その時になって初めて知った。

「千年に一度の」とか「千年に一人の」などという枕詞が付けられるような、万人が好ましく思うタイプではないかもしれない。
人によっては「平凡な」と評することもあるだろう。
だが、彼女を見た瞬間、俺は確かに胸が鷲掴みにされるような衝撃を受け、同時に彼女を是が非でも自分のものにしたいという強い衝動に突き動かされた。
まさに理想を体現した姿がそこにあったのだから。

「これが、恋か」
「いや、違うだろ」
「いいや、これは正真正銘の一目惚れだ!」

握りこぶしで力説する俺に、弟は完全に引いた顔をしている。
だが弟の意見なんてどうでもいい。
いや、どうでも良くはないか。彼女と暮らすことになれば、弟にとっても家族になるのだから。

性格? 相性?
そんなものは後からいくらでもどうにでもしてみせる。
性格に難があるようならじっくり向き合って調教、もとい、矯正していけばいい。
相性についてはできる限り気に入ってもらえるよう努力は惜しむまい。

「まずは外堀を埋めることから始めるか。父さんと母さんを説得して、その後、向こうのご家族にしっかりアピールして……」
「うわー、兄貴の本気度がヤバい」
「当たり前だ! 家族になろうっていうんだ、生半可な気持ちじゃ彼女にも失礼というものだろう!」

頭の中は目まぐるしく、いかにして彼女を我が物にするかという算段で埋め尽くされていく。
それが叶えば彼女と夢のように幸せな生活が待ち受けているのだから、どんな困難も乗り切れるというものだ。

「えーと、気に入って頂けたようですし、詳しいお話をさせて頂いてもよろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします!」

少しでも好青年だと思ってもらえるよう、俺は生真面目な顔で頷いた。
幸い、少し接する内に彼女もこちらを気に入ってくれたようで、すぐに打ち解けることができた。
途中からはとても大胆に甘えてくれて、俺は彼女の魅力に完全に骨抜きだ。
弟にまで愛想を振りまくのは面白くないが、そこは人懐っこい性格ゆえなのだろう。
この調子なら両親共うまくつきあってくれそうだと安堵する。


そうして、半月ほどのお試し期間を経て、彼女は無事に俺のものに――俺の家族になった。
理想の愛猫を我が物にした俺は、今日も今日とて彼女に尽くす下僕として、バイト代で買ったキャットタワーを組み立てたり、チュールを進呈したりして、めくるめく幸せを甘受するのであった。





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今日のテーマ
《透明な水》





SNSのタイムラインを眺めていたら面白い写真が流れてきた。
一見、何の変哲も無い綺麗な海と船の写真。
しかしよく見ると、船が宙に浮いているように見える。

「見て見て! これすごくない!?」
「ああ、水の透明度が高いから、船の影が水底まで届いて、それで浮いてるように見えるってやつだね。イタリアだっけ」
「へえ、そうなんだ。コラか何かかと思っちゃった」

こうやってすぐに情報が出てくるところ、本当にすごいなと感心してしまう。
彼の脳味噌には一体どれほどの知識が詰まっているんだろう?
きっと私の数倍は下るまい。もしかしたら数十倍かもしれない。

「……ごめん」
「何が?」
「すぐこうやって薀蓄垂れるのウザくない?」
「そんなことないよ。知らないことが知れるのは楽しいし」
「なら、いいんだけど……」

仄かに耳の先を赤くして、口許を手で覆って視線を逸らす。
照れてる時の彼のクセだ。
その表情が尊くて、思わず拝んでしまいそうになる。

薀蓄を披露されるのを嫌う人もいるけど、私はそんなことはない。
今言ったとおり、知らないことを教えてもらえるのは純粋に楽しいし面白い。
それに何より、あれこれ説明をしてくれている時の彼の表情がとても好きなので。

『薀蓄を垂れる』などと言うと、知ったかぶって偉そうに知識をひけらかす姿を想像するけど、彼の場合はそんなことはない。
自分の知識を他人と共有するのが楽しくて仕方がないんだろう。
目をキラキラ輝かせて、表情もいきいきしていて。
少し前のめりになって饒舌に語る姿はそれだけで眼福ものなのだ。
まあ、それは惚れてる欲目というのも多分にあるんだろうけど。

「でも、イタリアかあ……生で拝むのはさすがに難しそうかな」
「この写真はイタリアのだけど、こういう透明度の高い海なら国内にもあったはずだよ。高知だったかな?」
「そうなの!?」
「うん。たしか条件的には夏の晴れた日がいいって話を見た気がする。夏休みの旅行先、場所調べてそこにする?」
「いいの!?」
「天気については賭けになるけどね。まあ、そうしたらまた次の機会を狙えばいいし、天気が悪くても楽しめそうなプラン考えとく」

ほら、こういうところ!
こういうところがたまらなく好きで、本当に、この人の恋人になれて良かったとしみじみ思う。

「ありがとう! 嬉しい! 大好き!!」
「どういたしまして。俺も、そんなに喜んでもらえて嬉しいよ。透明な海様々だな」

照れくさそうなその笑顔が愛おしくて、わたしは思わず彼にぎゅっと抱きついてしまった。
透明な海が見れるのはもちろん嬉しい。
でも、それ以上に嬉しいのは、彼がわたしの喜ぶことを考えてくれるその気持ちなんだけど。
それを伝えるのは、この胸の内を荒れ狂う尊さがもう少し落ち着いてからになりそうだ。





5/21/2023, 2:44:45 PM