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 六月の花嫁は幸せになれるという話を聞いた。俺は真っ先に君の顔が思い浮かべた。
 車で何時間も運転しないと駅に辿り着けないような、そんな辺鄙な地方で奇跡的に同級生として生まれた俺と君。遊び相手はお互いが基本だから、たくさん喧嘩して、同じ数だけ仲直りしてきた。
 一緒にいるのが当たり前すぎて、付き合うの前に同棲--ルームシェアをしようとした時はさすがに互いの両親が反対した。恋人でない男女が同じ屋根の下で生活するのはおかしい、と散々怒鳴られて初めて自分たちの関係を見直した。
 俺は言った。
「この先、君が隣にいない毎日が想像できない」
 君が言った。
「あなた以外、知らなくていい」
 たったそれだけで恋人としてお付き合いを始めた。
 付き合い始めても、変化といえばスキンシップが増えたことくらい。手を繋ぎ抱きしめ、キスをして、それ以上に深く愛し合った。
 恋人関係なんてお互いよく分からなかったが、どんどん深みにハマっていくとは感じた。普通の恋人同士とは違う、恋愛感情だけで結ばれたわけじゃない。昔からの友達であり、家族も同然な存在なのだ。
 そんな昔から知っていたつもりである君の新たな一面を見つけるたび、心から喜びが湧き出てきた。どんな一面も全部ひっくるめて君なのだと思うと、愛おしいという思いが膨らんでいった。

 君以外、愛せないと悟った。

 だからこの六月の時期に、必ず結婚しようと決めた。
 プロポーズも入籍も、できれば結婚式も六月がいい。六月の時期はとても人気が高く、式場の予約が取れるか分からない。君の好みだってある。一応来年の六月あたりに式を挙げると頭の中で計画しておいた。
 プロポーズは夜景の見えるレストランではなく、君の実家の庭先だった。
「アジサイが咲いたから見においで」
 と、君のお母さんに呼ばれて二人で帰省した日。君の家にお邪魔して広間に通されて、目を見張った。庭に面した広間の窓から、白や青、紫に花を咲かせたアジサイが目に飛び込んできたのだ。
 お母さんに入れてもらった麦茶をそっちのけで君と庭に出た。近くで見ると君の身長くらい高さがあり、その迫力に圧倒された。
「これ、もっと小さかったんだよ」
 アジサイの葉に溜まった水滴を指で撫でながら、君が笑う。目尻を下げて口元を緩める君の優しい笑顔を見て、心が掴まれた。
 今だと思った。
 君から見たら唐突だったと思う。俺はその場でかしずき、ズボンのポケットからベルベットの小さな箱を取り出した。
 君は俺の方を見て、目を丸くした。一拍置いて意味に気がついたのだろう。君は両手で鼻と口を覆い、大きな目をさらに見開いていた。その目は潤んでいるようにも見える。
「結婚、しましょう」
 プロポーズの言葉はあれこれ考えていたはずなのに、全部吹っ飛んでしまった。頭の中が真っ白の中放たれた俺の言葉は、なぜか断られないと確信めいていた。
「隣でずっと笑っていてください」
 手に汗をかいて少し湿っていそうなベルベットの小さな箱を、両手で開いて君に見せる。君の目から涙が溢れ出た。
 いつまで経っても啜り泣く君に、痺れを切らして俺は立ち上がった。君と正面から向き合って、手の甲が上を向くように君の左手を取った。ベルベットの小さな箱から指輪を抜いて、君の左薬指に通す。小さく散りばめられたシルバーリングのダイヤモンドがキラリと輝いた。
 俺は君の手をそっと離した。君は顔の高さまで手を掲げて、左薬指を見つめる。ダイヤモンドがキラキラ光るたび、彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
「待って。私、頷いて、ないのに、なんで、嵌めちゃうの? 自分、勝手、すぎない?」
「えっ、結婚しないの!?」
 俺は君の言葉に心底驚いて、声が裏返ってしまった。昔からずっとそばにいて、それが当たり前で、付き合って同棲して。何も問題なんてないと思っていた。
 でもそれは俺の一方的な勘違いだったのかもしれない。とんだ思い違いをしてしまった。やっぱりもっと慎重に考えればよかった。
 あたふたしている俺に対して、彼女は泣きながらクスッと笑い声を漏らした。
「する。するに決まってんじゃん」
 君は目を細めて、したり顔でニヤニヤする。器用にも泣きながらだ。俺は君のまた新しい一面を知れて嬉しくなった。



『やりたいこと』

6/11/2024, 2:52:52 AM