また同じ夕暮れを繰り返す。
長く伸びた二つの影。手を繋いで夕陽を追いかけた、いつかの朱い空の下。
「もうすぐ日が暮れてしまうの。さよならだ」
「さよならはやだな。帰りたくないよ」
暗くなる空に文句を溢し、もう少しだけを繰り返す。
いつもと変わらない光景。昨日と同じ二人の細やかな望み。
「このまま時が止まってしまえばいいのに」
「ずっと夜が来なければ一緒にいられるのに」
ね、と二人顔を見合わせて笑う。
そんな事はありえないと知っているからこそ言える、他愛のない言葉。
つかの間の別れを惜しみながら、また明日の約束をしてお互いに帰る。
そうなるはずだった。実際明日は来るはずだったのだ。
長く伸びた一人の影の先が、苔むし朽ちた碑にかかりさえしなければ。
―― カナエテアゲル。
ざらりとした、耳障りな応える声が聞こえ、一人の姿が掻き消える。
繋いでいた手を失い、彷徨うもう一人の手を置き去りにして。
閉じられた一人は、同じ夕暮れを繰り返している。
ぱりん、と何かが割れる音がした。
見上げた朱い空には罅が入り、ぱりぱりと音を立てながらその罅を広げていく。
まるで落として割れた硝子玉みたいだ、と閉じられた子は思う。
それ以上には何も思う事はなかった。同じ夕暮れの中で擦り切れていった心は、酷く鈍磨になってしまっていた。
広がる罅をただ見つめ。その先の怪しく光る黄色の何かに目を瞬く。
黄色。けれども白のようでもあり、赤にも見える不思議な丸い何かが大きな月だと気づいた時には、すでに空は粉々に割れていた。
「迎えに来たよっ!おまたせぃ!」
懐かしいようで、記憶のそれよりもずっと低い陽気な声が、割れた夜空の向こうから振ってくる。
にやり笑い手を差し伸べる青年に、あの日のもう一人の影に重なって、恐る恐るその手を取った。
「よし、行こう!さっさと行こう!」
―― イカセナイ。
閉じられていた子の伸びた影から声がする。ざらついた雑音が影を依代に、形をなして現れる。
手を掴まれる、その瞬間。
「行くんだよ。邪魔すんな」
笑みを消した目の前の青年が、腰に差していたナイフを抜いて影へと躊躇いなく投げつけた。
ぴしり、と音がして。影に罅が入る。
声も出せずに崩れ落ちていく影を冷めた目で見下ろして。けれど次の瞬間には再び笑顔を浮かべて子を、あの日失ってしまった友人の手を話さぬようにしっかりと繋いだ。
「これで邪魔されなくなったな!よかったよかった」
繋いだ手を引いて歩き出す。
空が割れ、影が消えた事で閉じていた空間にもあちらこちらがひび割れていく。
「早く帰ろう!んで、おいしいもの食べたり、遊んだり…とにかく一緒になんかしような!」
「なにか」
「そ。なんでもいいや!」
足取り軽く、青年は割れた空の向こう側へと歩いていく。手を引かれるままの友人は、擦り切れた心でかつてのあの手を繋いだ影を思い出し。今手を繋ぐ彼との差異に、戸惑うように目を瞬かせた。
夕焼けの向こう側。猫の目のような不思議な色を湛えた、望月の妖しく輝く夜の下へ。
繰り返していた擬似的に止まっていた時間が、正しく流れていくのを感じる。聞こえてくる虫の声に、吹く風の涼しさに夏の終わりを知り、繋ぐ手に縋るように力が籠もる。
振り返るその場所に、夕焼けは欠片も見つける事が出来ず。ただ苔むし朽ちた碑が粉々に割れているのが見えるだけだった。
「あれからさ。いろいろあったんだ。いろいろあって、一人になった。でも新しく出会いもあって、師匠って呼べる人もできて、たくさん出来る事が増えた。だから夕焼けを壊して助けられた」
「師匠」
「ん。すごい人なんだ。なんでも出来て、何でも知ってる。優しい人」
「優しい、人」
見上げる目と見下ろす目が合う。変わってしまったと、同じではないのだと示すその差に、手を離しかけ、手を強く繋がれる。
「師匠に会いに行こう。で、一緒に生きていこうな」
「生きて、いく」
言葉をただ繰り返す友人に、青年は強く頷いた。
足は止めない。彼が生きてきた時間と同じように、前に進み続ける。
「もう二度と時間が止まってほしいなんて我が儘言わないからさ。だから一緒にいよう?」
「一緒に、いる」
―― あの子のように。
繰り返す言葉の後に続く囁きを、必死に聞こえないふりをした。
笑って、誤魔化して。都合の良い言葉だけを拾って、大げさに繋いだ手を振って歩いて行く。
止まる事なく流れていく時間と、繰り返し停滞していた時間。
多くを経験し大人になった青年と、夕焼けに囚われ子供のままの友人。
けれどその実、青年の心は擦り切れた友人のそれよりも壊れている。あの夕暮れ時に今も置き去りにされている。
「これからはずっと一緒だ。ずっと」
何度でも繰り返す。言い聞かせるように、呪いのように。
月に照らされた青年の表情は、笑っていながらも。
一人残されて、泣いているようにも見えた。
20240920 『時間よ止まれ』
9/20/2024, 10:31:53 PM