突然の別れ
それは稲妻がもたらした出会いで、別れだった。
リンカーンは孤児である。町外れの教会に育ててもらい同じような境遇の子供たちと、猫の仔のようにくっついたり離れたり賑やかな幼少期をすごした。
長じてから洗礼を受け教会を継ぎ、当時の牧師家族を見送ってからは一人、この施設を維持するために孤軍奮闘していた。
そんな時だった。
突然の土砂降りと雷鳴の中、一人の貴族の青年がふらりと教会に迷い込んできたのだ。
(何事だ!?)
「雨宿りの方ですか?これは酷く降られましたね」
「ああ、……すまないが少し滞在させて欲しい」
「勿論です。今なにか拭くものをお持ちしましょう」
(貴族の坊ちゃんが一人でどうした、迷子かぁ?)
びしょ濡れの彼に仰天したリンカーンはあれこれとつきっきりで世話を焼き、居住区から取ってきた清潔で乾いた布で頭を拭いてやる。向かい合ったら彼の方が僅かに背が高かったのでリンカーンは少しムッとする。
(さすがお貴族様はいいもん食ってやがる)
ケッと胸中で吐き捨てた。自分だって育ち盛りの時分に栄養のあるもんを食っていれば、今頃は!彼は平均より少し低い身長にコンプレックスを持っていた。
軒先を貸し、乾いた布を手渡すだけで充分だったと言うのに、まるで過保護な母のようにあれこれと世話を焼く彼に、何故か脱力し、されるがままだった青年がうっそりと顔をもたげる。
これでうちを気に入ってちっとでも寄進してくれたらいーなー、程度の気持ちでいたリンカーンは、息を飲んだ。
凄まじい美貌だった。
濡れた黒髪の隙間、長い睫毛が震え金色の双眸がとろりとリンカーンを見詰める。まるで毒蛇の眼差しのようだった。
思わず髪を拭いてやる手を止めたリンカーンだったが、その手に彼の長い指が重なる。ひやりとした、温度のない肌だった。
「決めた、」
「何がです」
「君を私のものにする」
「はぁっ!?」
突然に一方的で無礼な宣言をかました美青年は、唇の端だけで微笑んでぎゅっと彼の手ごと指を握りこんだ。
「今日はこれで帰るけど、いや、いい拾い物だった」
(ちょっと待て!まさか変態貴族の稚児になれとかそういう話か!?)
ガラピシャーン!と、頭上で雷鳴が鳴る。突然差し迫った尻への危機に恐怖していると、青年貴族はふと笑った。
「多分今君が想像している事も思い当たるけど、とりあえず私は女だよ」
「はぁッ!?」
「あと無理矢理手篭めにはしない。嫌われたら悲しいからね」
「はアッ!?」
「また来るね。今度はちゃんと口説きに」
声をひっくり返すリンカーンの強ばった指先に、あろうことか、ちゅ、と口づけて、唐突に彼、いや彼女は雷鳴と共に教会を去った。
後に残ったのは濡れてしわくちゃになった布と呆然とするリンカーンだけ。
「何だったんだ……今の……」
たったこれだけの邂逅であったのに、何故か大事なものを散らされた心持ちのリンカーンだった。
5/19/2024, 12:11:36 PM