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何気ないふり


「先生」

私は先生の元へ駆け寄る。

すると、声に気づいた先生が後ろを振り返り、こちらを見た。

「少しいいですか?」

「学校内で走らないように」

間髪を入れず、そう答えた。

ああ、まずい。

先生と会うというのに、初歩的なミスを犯してしまった。

「先程の授業でわからないことがあって」

私が困ったように質問すると、先生は丁寧に教科書を開き、どこが分からないのか聞いてくる。

ここです、この問題がどうしてもわからなくて。

先生は問題に指を指すと、一から順に説明していく。

私が首を傾げると、一度問題を止めて、理解できない場所から答えを埋めていった。

先生の教え方が効率が良いこと、私の飲み込みが早いことで直ぐに問題は解決した。

「ありがとうございます、先生」

私が笑って伝えると、

「いいんですよ」

と答えて微笑み返した。

用事が済んだ先生は教科書を閉じて『じゃあ』と言って私の元を去ろうとする。

その様子を見て、私は先生の前を塞ぎ、行き場を無くした。

「お話しましょうよ」

私がそう言うと

「忙しいんだけれどね、まぁ大丈夫だよ」

先生は、苦笑気味に答えた。

私たちは当たり障りのない会話をする。

最近調子はどうだ、と先生の質問から始まって、『順調です』と私が答える。

部活は、勉強は、両親は、ペットは?

途中、体を小刻みに揺らしながら話すのを先生に指摘されて『ごめんなさい』と伝える。

けれど、『謝ることじゃないよ』と言われ、何事もなく会話を続けた。

ほとんど話題を話し切った私は何も言うことがなくなって、じっと先生の方を見た。

それは先生も同じことだったようで、私の瞳が、先生の視線と絡み合う。

私は穴が開くんじゃないかというほど先生を見つめた。

奥の方まで届くように、と気持ちを込める。

すると、先生は視線を右へ走らせた。

それと同時に、先生は服を握る力が強くなる。

私は知っている。先生のことすべて。

「ふふふ」

「な、どうした……?」

「いえ、ごめんなさい」

まだ笑いを収まりきれていないまま口を隠す。

ふと耳を傾けると、チャイム音が鳴っていた。

「ああ、もうこんな時間ですね」

「教室へ、戻らないと」

「はい、気をつけて」

私はゆっくりと振り返り、来た道を戻った。

先生は後ろを振り返らず、そのまま前へ進んだ。

廊下はひどく冷たくて、校内にはまだ少しチャイムの名残りの音が残っている。

教室のドアを見つめながら歩いていると、背後から声をかけられた。

「なあに」

女子生徒が腕を組んで待っていた。

彼女は目を細くさせて、こちらを見る。

「あんたって、ほんと性格悪い」

「イタズラ好きにもほどがあるわ」

「なんのこと?」

「とぼけたって無駄よ、全部知ってるんだからね」

友人である彼女は、怒り気味に声を上げる。

「好奇心旺盛と言ってほしいね」

私がそう答えると、彼女は更に怒ってあからさまに機嫌が悪くなった。

「問題、知ってた癖に」

彼女が俯きながら呟く。

それにはいろんな感情が込められている気がした。

多分、私への嫌悪だと思うけれど。

「あの人、人が苦手なのよ」

彼女が指す“あの人”とは先生のことだ。

「それなのに教師をしてるって、ちょっと、おかしいよね」

「ほんとうにイライラするわ。なんなのかしら、あなた」

あの先生のこととなると、彼女は人が変わったようになる。

確か、何度か助けてもらったのだとか。

おそらく彼女にとって先生は大切で、恩人でもある。

そんな優しい人柄に漬け込んで揶揄う輩がいれば、自分のことのように怒るのも当然だと、彼女は言った。

「廊下を走るなと言ったのに……」

続きを言おうとした時、彼女は私の膝を蹴る。

あまりに突然なことで、私は前屈みになった。

痛い、というものではなく結構な怒りが込められた蹴りであった。

「ご、めん……もちろん、私も、先生が好きだよ」

半分強制させた物言いになってしまったが、私が先生を好きなのは本当だ。

だけど、あまりにも先生の反応が面白くて、つい揶揄いたくなってしまうのも嘘ではない。

「わかった。もう、しないよ」

私がそう言うと、彼女は『本当ね?』と何度も確認を取り、私の元を去った。

“学校内で走らないように”

“先生を揶揄わないこと”

先生と、彼女との約束を思い出す。

私の頭の中で、少し悪い考えが頭をよぎった。

3/30/2024, 7:45:46 PM