短編「二月二十六日」
作 余白
「綺麗だなぁ〜、星」
見上げた夜空よりずっと綺麗だと思った先輩の横顔を、できるだけ深く脳裏に記録した。
「やるね、天文部なんて作っちゃうんだ。」
いやぁ、そんなすごい事でも。軽口を叩きながら、細川律(ほそかわ りつ)は冷えた屋上のコンクリートに手をつき、夜空を見上げた。
隣で星を見ている村井遥音(むらい はるね)は、律が中学校の頃から憧れている一学年上の先輩だ。つい最近、互いのお気に入り場所である、この'屋上'がきっかけで急激に距離が縮まった。そろそろ告白をしないのか?と、今日の部活中に親友の理人(まさと)に聞かれたが、
「告白‥!?!?」と顔を赤くし、ダラダラと汗を流すことしかできなかった。
〈まだ告白ができるほど遥音に見合う男になれていない〉なんて一丁前にも妙なプライドがある事を、律は今日初めて知った。
「ありがとうね。落ち込んでるの、わかってたんでしょ?」
サラサラと、肩までまっすぐに伸びた遥音の細い髪が夜風に揺れる。その隙間から見えた瞳が星よりも光って見えたのは、月明かりのせいか、それとも涙のせいなのか、律には判断がつかなかった。
「‥っ!!」
「え‥?」
遥音の驚いた声で気がついた。無意識に律は、遥音の目の前にアイスを差し出していた。
「バニラ‥アイス‥?」
「先輩はお腹が空くとダメです。これ、一緒に食べましょう!」
生意気だったか?言い終わって怖くなり、恐る恐る隣を覗き込む。意外にも、遥音は子供みたいな顔で笑っていた。
「‥ふふっ、バレてますねぇ。めんどくさい女だと〜!」
やけに嬉しそうにバニラアイスを頬張る遥音を見て、律は初めて彼女に会った日のことを思い出した。
〈本当によく笑う人だな〉
そう思った時には既に気になり始めていたのだろう。初めて見た遥音の笑顔をとても鮮明に思い出せる事で、自分の恋心を再認識してしまう。頬に体温が集まったのが分かり、恥ずかしくなって夜空を見上げた。夜風が頬の熱を奪ってはくれないかと、そう思った。
「‥ははっ。
俺嫌いじゃないですよ、そういう人。」
笑いながら隣を見ると、大きく見開かれた目と驚いたように固まる遥音が、そこにはいた。
しばらく沈黙し、それからちいさく微笑んだ遥音が、優しく呟く。その細く透き通った声が、冷たい空気の中優しく揺れた。
「‥また見ようか、星。」
律の少し伸びてきた前髪が、サラサラと夜風に遊ばれる。
その横でたっぷりと息を吸い込んだ遥音が、寒空の下に白い息を吐き出した。
光を集めたようにきらきらと光る瞳は、冬の星の誰にも負けないような気がした。
自分に見惚れている人がすぐ隣にいるという事に、遥音は気づかないままでいた。
〈勉強頑張ろう、そんで必ず先輩に告白しよう〉
コンクリートについた両の手を、ぎゅっと握り決意する。再び見上げた夜空は信じられないほど綺麗で、〈この景色を絶対に忘れるものか〉と、律は再び懸命に脳裏に記録する。
二月の終わり、星が広がった冬の夜の出来事。
2/26/2025, 3:08:46 PM