『鳥かご』
「もういい! 徹の好きにすればいいじゃない!」
未久は今にも周囲の空気を一刀両断してしまいそうな鋭い金切り声で言い、僕が大事に抱いていた古い鳥かごを奪い取った。そして、それを思い切り床に叩きつけた。
長い喧嘩の最中。一瞬の出来事だった。金属が潰れる音とともに、錆びた鉄製の鳥かごは、フローリングの床の上で無残に壊れた。僕は血の気の引く思いで、それを見下ろした。
僕がまだ小さかった頃、鳥かごの持ち主は心臓発作でこの世を去った。彼女が大切にしていた鳥かごを、僕は形見に譲り受けた。
彼女の名前を、僕はそっと呟く。
「ママ……」
***
徹の背後には何かが棲んでいる。その何かは、徹が大切にしている鳥かごと関係がある。
幼い頃から、私は勘が鋭かった。中学生になった辺りから、それは一種の霊感のように私に何かを告げてくるようになった。大学を卒業し、図書館に勤務するようになってから、霊感に似たそれはますます強くなった。
徹とは、大学時代からの知り合いだ。勤勉な学生同士ということもあるのか、私たちは妙に気が合った。しかし、徹と私が男女の関係になることはなかった。
「僕は異性と深く係わることができないんだ」
徹の家に初めて招かれた時、息が詰まるくらい清潔な部屋で革張りのソファに体を沈めて、私は彼の話を聞いた。その時、徹は骨董品めいた鉄製の鳥かごを、遺骨でも扱うように大事に抱えていた。
「僕が小さい頃に、母がよく言っていた。たとえママが死んでも、どこへも行かないでねって。僕は約束したんだ。どこへも行かない。ずっとママのそばにいる」
「だから私とは付き合えないの?」
尋ねた私に、徹はさも当たり前のように大きく頷いた。
あれから二ヶ月が経った。今、私たちの間には壊れた鳥かごがある。私が徹から鳥かごを奪い、床に叩きつけて壊したのだ。
こうするしかなかった。徹が母親からかけられた呪いは、こうすることでしか解くことができなかったのだ。
「ママ……」
徹が呟き、壊れた鳥かごに震える手で触れる。一つ一つの部品をゆっくりと拾い集め、やがて徹は深い溜め息をついた。私は無言で見守っていた。理解してもらうことは不可能だ。元から空っぽだったこの鳥かごの中に、私が何を見ていたのか。そんなこと、現実主義者の徹には到底理解してもらえないだろう。
私は唇を噛み締め、黙って部屋を出た。徹は追いかけてはこなかった。
でも、きっと私がいなくても徹は幸せになれるだろう。母親によって鳥かごの内部に囚われていた徹の自立心は、たった今、解き放たれたのだから。
今度こそ、徹が自由になれますように。
私は心から願った。壊れた鳥かごから飛び立つように出ていった、青緑色をした光の玉が、今も目の奥に焼きついていた。
7/25/2024, 12:19:34 PM