かたいなか

Open App

「前回のお題でまともに読めるエモ無し話が閃けば、書き直すと言ったな。あれは結局無理だった」
まぁ知ってた。某所在住物書きは己の執筆スキルとレベルを再認識し、エモネタの不得意を痛感した。
「4月24日に『今日の心模様』みたいなお題があって、その時もロクなネタが浮かばなかった」

厚労省や日本看護協会は「心の健康」あるいはメンタルヘルスを◯◯と説明している、
個人的に「心の健康」は△△によって保っている、
現代日本では特に労働時間内において「心の健康」が捨て置かれている場合が多い、
心身相関という言葉があり、体の健康が「心の健康」に作用することがある。逆はどうだろう。
上記のネタは考えつくものの、ではそれを物語として文章化できるかというと、少々時間がかかる。
今回のお題も、相変わらず難問らしい。

「都市部と農村部の『心の健康』の格差は?」
ネット上では記事によって、都市大変派と農村部・田舎大変派でどうも分かれているらしい。
「もういい。俺、田舎の自然に救いを求める……」

――――――

コロナ禍突入直前。2019年のお盆のおはなし。
雪国の田舎出身である藤森の里帰りに、「朝夕涼しいという雪国の夏を見てみたい」と、親友が無理矢理くっついてゆきました。

「藤森、ふじもり!これがお前の故郷か!」
「そうだが」
「建物が低い!空が広い!風が涼しい!」
「そうだな」

「デカい田んぼと小川もある!」
「用水路だ。川ではない」

東京育ちの親友は宇曽野と言いまして、観光地という観光地でもない田舎に来るのは、これが初めて。
「何故こんなに人も車もバスも少ないんだ」
「田舎だからだろう」
「ひとまず田んぼだ。行くぞ藤森、ついてこい!」
「待て宇曽野。宇曽野……ステイ!!」
アニメでしか見ないような空き地、そこらじゅうに生える花と山菜、それから遠く広がる田園風景。
宇曽野はそれらがただ美しく見えて、藤森の手をぐいぐいと、あっちこっち、そっちどっち。

「手を取り合って」なんて優しいものじゃありません。さながらリードを持った飼い主を引っ張るアラスカンマラミュートかシベリアンハスキーです。
「おい藤森!田んぼの中に、紫の花が咲いてるぞ。なんだアレは、なんて名前だ?!」
ぐいぐいぐい、ぐいぐいぐい。
青い空、白い雲、東京より少し涼しい田舎の田んぼ。
軽トラック1.5台通れるであろう砂利道を、宇曽野はまるで子どものように、あるいは上記大型犬のように、藤森の手を引き走ってゆきました。

「雑草の多いあの区画だけ、紫が咲いてる。白も咲いてる!藤森、これは何だ」
「白い方なら、東京でも見られる筈だ。オモダカといって田んぼとか水辺とか、湿ったところに生える」
「見たことないぞ」
「『筈だ』と言った。なにより私は不勉強の素人、専門外だぞ。鵜呑みにするな」
「で、紫は?」
「ミズアオイ。記憶が正しければ準絶滅危惧種に指定されていて、東京では絶滅危惧Ⅰ類。花言葉は『前途洋々』や『浮沈』等。食えるらしい」

「味は」
「知らない。食べたことがない」
「美味いのか」
「私より自分の持ってるスマホに聞いたらどうだ」
「お前に聞いた方が面白いし早い」

パシャパシャパシャ。
これは珍しい花、それは美しい風景、あれは尊い昔在りし日本であそこはなんだ、未知の何かだ。
「異文化適応曲線」の、「ハネムーン期」というものがあります。宇曽野はまさしくその真っ只中。
東京と明らかに時間の進み方が違う田舎の、すべてにスマホのカメラを向けました。

「美しい。心の不健康が抜けてくようだ」
「私はお前に付き合って、体の疲労が蓄積中だが?」

「お前も撮ってやる」
「やめろ。いらない。ミズアオイで満足していろ」

赤い太陽が地平に沈み、空がミズアオイかキキョウの青紫に染まって、田舎観光満喫中の都民が「さむい」と我に返るまで、
東京育ちの宇曽野と田舎出身の藤森は、
片や魂の疲労と心の健康を体いっぱい使って癒やし、
片や体に疲労がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、心地良く溜まったようでした。

8/14/2024, 2:48:52 AM