アシロ

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※美柑(みかん)と杏朱(あんず)の話。百合。



 その日、朝教室に入り声を掛けた瞬間から杏朱の様子は明らかにおかしかった。物凄くそわそわしているというか落ち着きがないというか、それなのに時々上の空になったりだとか、全身でもって「何かありました」と全力で表現してるようにしか見えない有り様。勿論、そんな杏朱を見逃すつもりなどない私は嬉々として理由を尋ねまくった。何があったの~、絶対何かあったでしょ~、ほらほら早くこの美柑様に全てを打ち明けてみな~、などなど。最初こそムキになって否定していた杏朱だったが、私のあまりのしつこさに白旗を掲げ、「······後で話す、から」とだけ告げ、予鈴と共に自分の席へと足早に去って行った。
 さて、と私も自分の席へ着席し、思考を巡らせる。確かに私は玩具を見つけたチンパンジーの赤ちゃんの如くキャッキャキャッキャウッキャッキャと杏朱を揶揄っていた身ではあるものの、実は一つ、切実に当たってほしくない仮説が脳内の隅の方にこびりつき離れてくれない状況に置かれていた。それはズバリ、もしかしたら杏朱は誰かから告白でもされたのではないか? という、最悪すぎる懸念だ。え、どうしよう。「私、その人とお付き合いしようと思うの」なんて言われたら。え? その場で窓から身を乗り出して飛び降りますけど?
 あの杏朱の雰囲気から察するに、どうでもいいことの範疇に収まるような内容だとはとても思えない。流石の私でもそこまで楽観視は出来ないってもんだ。一体どのタイミングで、どんな話を切り出されるのか······あまりにも気が気じゃなくて、いつも以上に授業に集中とか出来るわけがなかった。悶々としたものを抱え続けたまま時間は経過していき、遂に昼休みを迎えた。

 いつも通り前後の机を向かい合わせにくっつけて座り、杏朱と二人でお弁当を食べる。私達の間にはよくわからない居心地の悪い空気が纏わりついていた。いつもだったら私が何やかんやと話題を振ったり、おちゃらけた言動をしたりして、杏朱がそれにツッコミを入れたり笑ってくれたりする幸せなひと時が存在していると言うのに······私は朝の件に関しては杏朱の方から切り出されない限りもう催促はしないと決めていたし、そもそも例の仮説のせいで体中を不安の渦が台風の如く縦断をし続けているため、とてもじゃないがテンション高めに話しかけるなんてことが出来るような精神状態じゃなかった。何なら今胃に収めたばかりのお弁当がリバースしそうだ。杏朱と仲良くなってからこんな空気になるのは初めてのことで、その事実にすら吐きそうになる。どうしてこんなことに······うん、私が調子に乗って揶揄いすぎたからだよね、うん。知ってる、うん。
 杏朱はいつもよりも大分スローペース気味に、まるで作業のようにお弁当を口に運び続けていたが······口に入っていたものを咀嚼し飲み込むと、まだ中身が残っているお弁当箱の上にコトリと静かに箸を置いた。
「あ、あの······ね? ······笑わないで、聞いてくれる······?」
 内容による、といつもの私だったら即答していただろう。でも、杏朱に縋るように見つめられて、何だか頼って貰えてるような気分になっちゃって、たったそれだけのことで私の中から“茶化す”という選択肢は消えた。
「笑わないから、言ってみ?」
「······嘘。絶対笑うもん。私の知ってる美柑はそういう奴だもん」
「へぇ?」
 確かに、“杏朱の知ってる美柑”は、そういう奴だろうね。だって、そういう奴であることを自分で選んだんだから。でもさ、杏朱。私は杏朱が思ってる以上に隠し事がたくさんあるってこと、やっぱりわかってないね?
「絶対笑わないよ。もし笑ったら、絶交してくれてもいい」
「······ッぜ、絶交とか······!! 小学生じゃあるまいし······質悪いからそういう冗談やめて」
「ん、ごめん。でも、それぐらい私は本気だよってこと、伝えたかったから」
「······」
「だから、絶対笑わない。信じてよ」
 自分なりに、真摯に対応したつもりだ。今までの私が全て紛い物だとは言わないけど、そうではない私も居るんだってことを、杏朱には知ってもらいたかった。だから勇気を出して、ほんのちょっとだけ隠していたものをチラ見せした。私がここまでしたんだよ? だからお願い。信じてよ、杏朱。
「··················夢を、見たの」
 数十秒ぐらいだろうか。やや間を置いてから、杏朱は視線を下に向けて話し始めた。
「もう少し大人になった私が居た。髪型が変わってたり、メイクしたりだとかしてたけど、それが間違いなく自分だってわかったし、これが本当に謎なんだけど······それが未来の私だって、夢の中の私は確信してたの」
「未来の杏朱かぁ······どんなふうになってるか純粋に気になるなぁ」
「んー、そんな大幅にイメチェンとかはしてなかったかな? ······それでね? そんな私の横に、もう一人誰か居るの。未来の私はその人と楽しそうに喋ってて、すっごく幸せそうで······でも、その相手の人はよく見えなくて、喋ってる内容は聞こえてくるんだけど声を聞いても男の人か女の人かわからなくって······」
 一瞬、心臓がドクンと跳ねた。別に自分のことを話されているわけじゃないのに。夢の中の未来の杏朱と喋ってるのが私だなんて一言も言われてないのに。まるで自分のことを言われているような気持ちになったのはきっと、私が杏朱に内緒にしている隠し事のせいだ。絶対言わないと決めているのに、隠していることに疚しさを覚え、勝手に罪悪感を抱く、私のエゴが起こす矛盾のせいだ。
「誰なんだろう、誰なんだろう、って気になって······私、必死にその人のこと見ようとしたの。どうしても、気になっちゃって。そうしたらさ、ぼんやーりとしか見えてなかった相手の人がだんだんハッキリ見えるようになってきたんだけど······えと······その······あ~······」
 夢の内容を思い出しながらたどたどしく言葉を発していた杏朱だったが、ここに来て明らかに歯切れの悪い物言いへと変化する。話している最中に徐々に首を擡げて今ではきちんと真っ直ぐ姿勢を正しているのに、その視線だけがやけに落ち着きなく右へ左へ活発に移動を繰り返していた。
「············どうしても続き、言わなきゃダメ?」
「ここまで話したんだし、最後まで言っちゃえば? そしたら楽になるんじゃない?」
「······ん」
 杏朱はコクリと小さく頷いて、胸に片手を当てて深呼吸をし、意を決したような面持ちで私を見る。その決意が込められた眼差しに、射貫かれる。
「······未来で、私と一緒に居た人。私を幸せにしてくれてた人は、ね? ······美柑だった」
 今度は心臓が口から飛び出るかと思った。私の心臓、躍動感ありすぎだろ。いや、でも、だって。夢の中とはいえ、未来の杏朱と一緒に居るのが、私。未来の杏朱を幸せにしているのが、私。······そんなこと聞かされて、嬉しくならないわけないじゃんか。
 歓喜と感動と非現実感の狭間を行ったり来たりしていて言葉を発することが出来ない私を見て何を思ったのか、杏朱は捲し立てるように喋り始める。
「あ、あっははは! 何かこんなことで一人で恥ずかしがって馬鹿みたいだよね! ただの夢なのにさ! いっつも美柑と一緒に居るから多分ひょっこり出てきちゃったんだろうね! 私美柑のこと好きすぎかぁ~?」
「杏朱」
「もし気分悪くさせちゃったらごめんね! 私もこんな夢見てどうしたらいいかわかんなくってさぁ、美柑にもすごく申し訳ない気持ちになったし······でもまぁ、夢だから! 大人になっても美柑が私と仲良くしてくれてるなら嬉しいなぁ~とは思うけどね!」
「ねぇ」
「私もあんまり気にしないようにするし、何なら忘れるように頑張るし、美柑も気にしないでくれると」
「杏朱」
 私は、やけに饒舌にペラペラと話し続ける杏朱の言葉を途中で遮った。何一人で勝手にこっちの気持ち決めつけてんだよ。話聞いてやったんだからこっちの感想も聞きやがれ、バカ杏朱。
「めっちゃ嬉しい」
「······は?」
「杏朱の夢に出れたことも嬉しいし、未来でも杏朱と一緒に居れるのも嬉しいし、私が杏朱を幸せに出来てるなんてマジ最高~~~~~~~~~に、嬉しい」
「は? え? 美柑?」
「だから、絶対今の話、私忘れないから。わかってると思うけど、気分悪くなんて全くなってないし。てことで、杏朱も別に無理して忘れる必要無し」
「いや······え?」
 私の言動でひたすら困惑し狼狽える杏朱の方へ、机に上半身を乗せてグっと身を寄せた。
「未来の杏朱は幸せで、今の私も幸せ。んー、これでおあいこってやつ?」
「~~~······ッ!?」
 杏朱は遂に言葉を失ってしまい、口をパクパク金魚のように開閉するだけとなってしまった。その顔面は、熟れた杏なんて比較にならないぐらい真っ赤で食べ頃そうな色味だった。
 ねぇ、杏朱。こんなこと言われちゃったらさ、私、期待しちゃうよ? 杏朱の未来を貰えるのは私なんだって、馬鹿みたいに自惚れちゃうよ?
 あぁ、でも、そうだよね、神様。“本当の私”を知っても尚、杏朱が私の傍に居続けてくれる確証なんてないんだよね。
 だとしても。それでも。私は誰でもない杏朱に、受け入れてほしい。ありのままの私を。私という存在が抱えている全てのことを。今までずっと言えずにひた隠してきた汚い部分も、全部、全部。
 その全てを、もしも杏朱が受け入れて認めてくれるというのなら······杏朱が話してくれた夢の内容は、きっと現実になる。絶対に私が杏朱のことを幸せにする。絶対にその手を離さないし、隣という定位置からも離れない。······って、思ってるのに。誓えるのに。
 それなのにこの期に及んでまだ胸の内に現れる葛藤に嫌気が差す。この意気地なしめ。
「ねぇ、今の杏朱を幸せにするにはどうしたらいーい?」
「······もう幸せだから、いい」
 意気地なしのクセにこういうことは何の躊躇いもなく言っちゃう、そんな自分は得な性格をしているのだろう。でも私は、こんな自分が大嫌いだ。心の奥底に押し込まれた真面目で大事な話だけ出来ない臆病な自分が、大大大嫌いだ。

2/12/2025, 4:45:57 PM