火木金

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人を愛すべしと、そう育てられてきた。
人の生命は尊くその人生は眩しいのだと、そう教えられてきた。

愛を注ぐという表現がある。初めてそれを知った時
私はなんとなく水瓶を傾ける自分の姿を想像した。

注ぐなら注がれる相手もいるものだ。
注いだら注いだ分だけ、水瓶からは愛がなくなる。

別に奪られただとか、そんなことは思わない。
きっとなにもしなくとも少しずつ気化してしまっていただろうから。

ただ、ひたすら水瓶を傾け続けた。
愛をそそぐとは、愛をささぐということらしい。

少しずつ私の中から何かが無くなっていく。
はじめに、自分が好きではなくなってしまった。
つぎに、友人を尊敬できなくなってしまった。
最後には、誰かに憧れる事すら忘れてしまった。

人に愛されるべしと、そう育てられてはこなかった。
己の生命は尊くその人生は輝くべきだと、そう教えられてもこなかった。

いっそのこと水瓶を割ってしまえばいいと、何度考えた事だろう。

欠片になることが出来たなら、どれだけ楽になれるだろう。

水瓶ひとつじゃ足りない程に、注ぎ続けてきた。
湧き上がる愛情では到底まかなえない量の愛情を。
けれど、この水瓶が空になることは無かった。

気付かぬうちに、知らぬうちに。
はたまた目を逸らしているうちに。

注がれた何かがあるから。

12/14/2024, 7:33:35 AM