彼女はそれをコトコトと丁寧に注ぎ入れる。
夕陽のような深い赤。
きらきら光を反射させ流れていく。
湯気が立ち上げて深いダージリンの香りが懐かしい記憶を誘う。
「紅茶はお好きですか」
「ええ、よく嗜みます」
咄嗟に口をついて出た嘘だった。
よく嗜むなんて余計なことを。
私は紅茶をよく知らないし、普段は甘いミルクティーしか飲まない。彼のこだわるティーカップだって、ほんとは全部同じに見える。
彼とちゃんと話したことはないけれど、それでも私は知っている。誰より紅茶を愛してやまないところ。
彼はお父さんの入れるダージリンが好き。
いつも決まってそれしか頼まない。
「君、通だね」
と常連さんが彼に向かって話しかけていたのを聞いたことがあった。
常連さんいわく知る人ぞ知る名店。
紅茶なんて苦いし飲みたくないと駄々を捏ねた私にお母さんがミルクと砂糖を入れてくれた。
私はそれが大好き。それしか飲めない。
私がお父さんの店の手伝いをしたいと頼んだのも全部彼に少しでも近づきたいがため。
「ダージリンが、好きなんですか」
彼が口元に運んだティーカップを指してこう言うと、その手をピタリと止める。
分かりきったことを聞いた。
そのつもりだった。
「どうでしょうか」
「というと?」
彼はふわりと笑う。
「好きな人と同じものが好きになりたいと…」
一瞬どきりとすする。
自分の心が見透かされたのかと思った。
「不純な動機です。好きになろうと思って…でもやっぱりこの紅茶は僕には合わない。」
「それでも特別なんです」
「だからごめんなさいあなたの気持ちには…」
私は勘違いをしていた。
彼の愛してやまないものは。
合わないと言っていた紅茶をどうして一滴一滴を惜しそうに大切に飲んでいたのか。
ただ時間を惜しんでいた。
「マスターいつもの」
「はいよ」
私達にとってダージリンは苦くて渋くてでも特別なのである。
10/27/2024, 1:52:51 PM