私が初めて着た浴衣は、濃い緑色だった。真っ赤な兵児帯が、暗闇でも深緑をぼんやりと彩る。
大人になって思い返せば、良い浴衣であったが、大輪に咲く白い花は、さすがに子どもの私には不似合いだった。子どもだからという理由ではない。身も心も幼稚で、親にさえ意地悪を言われる弱い人間が着ていい浴衣ではなかった。
そう言ってしまえば、浴衣を作ってくれた祖母があまりにも不憫である。当時、祖母は福岡にいて、私が住んでいた宮城から大分離れていた。幼い私の頭では、祖母が送った浴衣から彼女の人物像を描けなかった。その上、親は彼女について全く話してくれなかった。
確かに着物を仕立てて生業にする人物は珍しいから、思わず誰にも話したくなる。だが、祖母その人を語らなかった。唯一分かっているのは、彼女が自ら首を吊った時、人に見つかって欲しいが、遺体を見て怖がらせたくないという矛盾を抱えて生きていた。
祖母も祖母で、全く会ったことのない孫の浴衣をどうしようか迷っただろう。椿のような組み合わせの浴衣は、彼女がようやく生み出した孫への花束かもしれない。しかし、想いのこもった花束を孫は嫌った。何故緑なのか分からない、と騒いでいた気がする。
親は、自らの子どもを慰められなければ、祖母の想いも拾わなかった。とにかく、祭りの屋台の食べものでもあげれば機嫌が治ると金で解決しようとした。残念ながら、当時の夏祭りで私が何を食べたか、全く覚えていない。美味しくも楽しくもなかった、そう違いない。
ただ視界だけは、黒い影に包まれた夕暮れのような橙色の光に焼き付いている。人影は、夢のように遠い世界の人々に見えた。屋台はあったが、ただの四角い白い影にすぎなかった。
つまらなかった思い出の断片にしては、思わずノスタルジーに浸りたくなる。子どもの私は、この夕まぐれの世界で、椅子に座って足をぶらぶらとさせている。暗緑の浴衣の裾から伸びる足が異様に白い。覚えてもいない黒い下駄の漆の艶が目を眩ませる。
浴衣姿の幼い私が、夏祭りの喧騒に潜んで遊ぶ子どもの妖怪に見えなくもない。人間の祭典を覗きに来た妖怪になりなさいと、祖母は言いたかったのだろうか。そういう物語があっても面白い。大人になって良い着物と思えたのは、芸術に潜む物語を読めるようになったからだろう。
こういう芸術は、受け継がれた物語に気づいて欲しいが、あまりおおっぴらにしたくないという想いが込められている。実に祖母らしい芸術であった。
(250714 夏)
7/14/2025, 1:12:57 PM