茜寧

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「みんなは、過去に戻れる能力か未来を観れる能力なら、どっちが欲しい?」

こんなこと、誰でも1度は考えたことがあるだろう。

私は、こんな夢のような力をひとつ持っている。

そのおかげで生まれてこの方ずっと成績優秀者で、周りには人が絶えず、誰から見ても"幸せな子"だった。


私は、寝ると必ず夢を見る。正夢と言うやつだ。
このおかげで、私の人生には失敗がない。
同時に、楽しみもない。


生きることは作業だ。
そして生かすこともまた、作業である。


夢を見る度、神様に命令されたかのようにその日1日を幸せへと塗り替える。

私は時々考えている。
幸せの約束された人生は、果たして幸せなんだろうか。

人々の生活水準が上がれば上がるほど、幸福と不幸の溝は
深く大きくなる。

さらに人は、神様も呆れるほど幸せを求め続ける。

過ぎ行く歴史の中で生きる人ひとりの人生なんぞ、野の花が枯れるのと同じだ。どうでもいい。


それを人は、大切にしていた花だけ枯れることを寂しいと言う。心を揺らし、涙を流す。

枯れた花にまで思いを寄せる人間がこの国には沢山いる。

花なんて枯れるのに、それが当たり前なのに、
人々はそれを嘆き、その心の揺らぎを詩にする。


また、自分の花が枯れることにも気づけないほど忙しなく生きている人間がこの国には沢山いる。

今日を生きるのに必死な奴らが、明日に何を望めばいいだろうか。


そう悩んだ奴らは言う。

明日が来ないことが、1番の救いだと。




私はこれまで、多くの人の不幸を幸福へと塗り替えてきた。
そこに本人の意思などない。

誰かに頼まれた訳でもない。
自身から溢れる正義感という訳でもない。

ただ、私が困るから。

不幸になることを知っていたのに何もしなければ、私が私を不幸にする。追い詰める。

だから私は、毎日同じ時間に寝る。夢を見る。



作業にも慣れてきた17の夏、夢が消えた。
その日、私は死んだ。

人々の運命を変えてきた定めだろう。当然の報いだ。

そう言う私の目からは、何故か涙が溢れていた。


それは、死んでしまった悲しみではない。神様を恨んだ怒りでもない。

ただ、あの日の夜、私は夢を見なかったのだ。
今日は何が起こるのだろうという胸の高揚を、この心で感じることが出来たのだ。


自分の死に目だけは観せないでおこうという神様の心遣いだろうか。

それでも、私は嬉しかった。





貴方は、もし明日を観ることが出来たら、その日1日をどう過ごすであろうか?

明日が来ることが当たり前になっているこの世界で、どんな今日を過ごしているだろうか?


生き急ぐことは無い。死に急ぐこともない。

ただ、貴方が貴方で居られるような時間を多く過ごせるよう
私は願っている。


5/7/2023, 7:42:24 AM