季衣

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涙が溢れるのは、
自分の中になにか
抱えきれない感情が
あるからだと思う。

嬉しい、も
悲しい、も
寂しい、も



子供の頃から
私は圧倒的に「悔しい」
が多い。

なぜ自分は
周りの子と同じようにできないのか。
と、日々思っていた

早期療育にも通わせてもらっていたし
方法は違えど、
結果的にはできるようになったことも
たくさんある。



ただ、それを受け入れるのは、
簡単ではない


「なぜ、私だけリハビリが必要なのか」
「なぜ、私だけみんなのような
かわいい靴が履けないのか」
「なぜ、私だけ、
体育やらないなんてずるい」
と言われなければならないのか。
「なぜ私だけこんなにExcelが苦手なのか」

それは、全て
身体障害や精神疾患の影響だ

誰が悪い訳でもない、
障害も病気も治ることは無い。

できる範囲のことを精一杯やるしか
私の生きる道はなかった。
時には専門家のアイデアを借りて
自助具を使うこともある。
それで、仮にみんなと同じ結果が出ても
結局、過程が違う。

どれだけ、「悔しい」
という感情と向き合ってきたか。
大人になった今でも
仕事に支障が出ることもある
その度に相談させていただきながら
「どうすればできるか」を考える

本来なら、健常者なら、
必要のない行為だ。

この悔しさが、
いつか誰かが困っている時
「私はこういう方法で切り抜けたよ」
という「アイデアのストック」に
なることを祈りながら、
私は今日も、悔しさと向き合う。

私にとってそれは、
自分自身との戦いだ

それでも、どんなに工夫しても、
どんなにダブルチェックをしても、
どんなに自助具を揃えても、
できないことはある

できないことを、
「これはどうやっても無理だ」
と、割り切る時は未だに涙が流れる

なぜ泣くのか。
それは、悔しさが溢れ出したからだ



「なぜ泣くのかと聞かれたから」

8/19/2025, 11:33:27 AM