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やりたいこと/

やりたいことを運良く見つけられ打ち込めているというのはとても素敵に思われる。

しかしそんな人ばかりだろうか。

やりたいことが見つからず何もしないのはいけないことか。

呼吸をしていたらそれは呼吸をしているのであって何もしていないとは言えない。
それを呼吸をしているだけと捉えるのか、呼吸をしながら何かを見て匂いを嗅いで音を聞けるじゃないかと捉えるのか。

人間は思考をいかようにも動かせるものだ。
そこに本物の豊かさがある。

同じ毎日、同じ景色のように思われるが絶対に違うということに気付くのだ。あらゆることに。あらゆる角度から。深く思考し続けるのだ。

映画を観ても、本を読んでも、曲を聴いても、
誰かが何かに打ち込んでいるうちに、
早く思考を深めるのだ。そのための時間だ。

やりたいことが見つからない時間があるということは
考える時間を与えられている、
考えられる頭をもって生まれたということだ。

誇れ。時間があることを。暇があることを。

時間に追われず生きていきたいのならば
欲を何か手放さなくてはいけない。

お金か。家か。物欲か。食欲か。睡眠か。体力か。プライドか。

時間がほしいのならば、落ちるところまで落ちる覚悟が必要だ。

落ちたくない恐怖から今ある見せかけの物理的な豊かさに人間はすがりついてしまうものだ。

何も失いたくないのならば歯を食いしばり前を向く他無いのだが。

わたしはこの頑張りというものがどうも苦手である。

頑張れなんて言われたものなら、瞬く間にやる気の炎は鎮火し萎んでいく。

なぜ謙虚に心ばかり応援しています、と言えないものか。
願いを込めた掛け軸にそっと手を合わせ祈る方がよっぽど尊いでは無いか。
心の声は伝えるものではない。伝わるものだ。

わたしは捻くれ者である。

弱い自分を許してはいけないだろうか。

しかしこんな人間もいるのだ。わたしだけでは無いはずだ。

きちがい、怠け者、弱者、甘え、
色々と言われても構いやしない。

誰かが持っていないものを持っている。

優しさ、共感、慈悲、思いやり、
見せかけだけじゃあない。

それを本物にしていく、魂を磨いていくことこそ、
わたしのやりたいことなのかもしれない。

わたしは呼吸をしているだけか。それとも。

6/11/2024, 1:31:45 AM