雨の騒がしい音で目を覚ました。薄暗く、雨音しか響かない部屋で俺は低気圧の頭痛を抱えながらベッドから起き上がった。タバコを口にくわえ、ライターで火をつける。吐き出す煙と共に、自分の中から何かが消えていくような感覚を覚える。
ー何年吸っても慣れないな。
そんなことを思いながらテレビをつけた。天気予報によれば今週はずっと雨が続くみたいだ。憂鬱な天気とは裏腹に、テレビの中の天気予報士は雲一つもない晴天のような笑顔を見せていた。コーヒーとトーストだけの簡単な朝食を取り外に行く用事もないのに身嗜みを整えた。鏡を見ると重ねた年齢が顔に滲み出ている。目の下にクマが浮かび、口元にはほうれい線が浮かんでいる。顔を洗い、歯を磨くと頭がだんだん冴えて来る。寝室兼仕事部屋に戻ると、出版社から執筆の進捗はどうか、次回の打合せの内容などのメールが届いていた。コーヒーを飲みながらメールに返事を送る。俺は書きかけの文章のデータを引っ張り出すと、思いつく言葉で無彩色の空間を文字で埋め尽くしていく。仕事は作家で、たまたま出した俺の小説が当たり一躍時の人となった。ただそれだけだった。重版の声もかからず、初めて書いた小説も今や古本屋で見掛けるようになった。悔しい、という感情は不思議と湧かなかった。こんなもんか、そう思った。
「先生、今書いているページだけでも見せていただけませんか?」
俺の担当編集がいつだかそんなことを言っていた。書いているも何も、続きが思いつかなくなった物書きなど誰が必要とするだろう。そういうと、
「少なくとも僕は先生の続きを待ってますよ。」
と言われた。
「まぁ、そのうち書くからもう少し待っててくれないか夏樹君」
夏樹萩斗は俺の小説を読んで出版社に就職したという変わり者の青年だ。若くて眩しい笑顔を見せる。テレビの天気予報士と同じように雲一つないような晴れやかな笑顔。もう何年笑っていないだろう。文章を打ち込みながらそんなことを思った。ある日、自分の部屋で打ち合わせをしていると、夏樹君がこんなことを言い出した。
「先生、僕来週で先生の担当を辞める事になったんです。」
俺の中で何かが崩れた音がした。
「って言ったってただの部署内異動なんですけどね。別の作家先生を担当してみろみたいなことを編集長に言われまして。」
ニコニコと眩しいきらめくような笑顔で彼はそういった。なんとなくそんな気がしていた。ソワソワと落ち着かない目線と仕種。すっかり冷めきったコーヒーを飲む。温もりも何もなく、そこにあるのは汚れたコーヒーカップの底だった。
「先生、僕は担当を外れても先生の作品を楽しみにしていますから、続きのページ待ってます。」
編集夏樹萩斗としてではなく、ただの俺のファンである夏樹萩斗が笑っいた。
「まぁこんなおっさんに付き合ってくれてありがとうな。」
来月から新しい担当編集が来る、そう言い残して彼は部屋を出た。
「待ってます、かぁ…。」
待っているなら俺は書くしかないだろう。新しくコーヒーを煎れるとパソコンに向かった。
外はすっかり雨があがり、水溜まりがきらめく空を写していた。
<きらめき>
9/4/2022, 5:10:59 PM