戯曲 海の向こうに
葛飾北斎、冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》が全体のテーマ。
平凡だけどちょっと変わった20代中盤頃のアマチュアイラストレーターフネちゃん(PNダフネ)。日頃の怒りを原動力に綺麗な作品をSNSで投稿してる。それに惹かれたアマチュア作曲家のボカロPマストくんが曲をつけたことによってバズる。
彼と恋をして腑抜けになる。
クリエイターの原動力のものがたり。
◾︎
最初ドビュッシーの海が始まる。
観客席には公演30分前から小さくC. ドビュッシー:交響詩「海」が流れている。これは彼が富嶽三十六景にインスピレーションを受けて作った曲である。
開演時間になると無視しておしゃべりできないほどだんだん音が大きくなる。
幕上げ
曲の1:50くらいのタイミングで幕が上がると、役者が大人数でビックウェーブを作っている。つまり冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》の英名グレート・ウェーヴの波を表現するダンス。サスには色を入れずホリゾントだけで、人の影で魅せる。
ダイナミックな動きで荒波を表し、指先で飛沫を表す。
激しく動く時もあれば、ピタッと止まって見せたり、緩やかに小さくなったり静と動を繰り返す。
しばらくライティングを変えながら続き、瞬時の場転。
ウェーブの中から一瞬で20代中盤歳くらいの女性が出てくる。まわりは後ろを向く(電車に揺られてる動きをしているかもしれない)彼女にだけスポットライト。
「1000円」
その子──フネ──がデザイン改訂後の1000円札をぷるぷる握りしめている。富嶽三十六景が描かれている。
「およその時給。これでどうやって、新作のフラペチーノを飲み、髪ツヤツヤにして、ネイルきらきらさせて、華金で飲み♡ とかして彼ピとディズニー♡とかしろとっ?!」
音楽が止まる。瞬時全員前を向き「おはようございます〜」「今日天気いいですね〜」など朝の挨拶を互いにしている。ここは彼女の務めている会社。
時計を持つバックダンサーが出てきてその針が早くグルグル進む。舞台上の大きめの道具は四角い箱三つ。
「あの、おはようございます」
「おはようございます。業務外プロジェクトの締切ふたつとも今日だけど終わった?」
「終わらせました、でもすみません。まさかチームメンバーが2人とも1週間風邪になると思わなくて残業今日で20時間になりそうです」
「調整するようにって言いましたよね?」
「じ、事前に今報告させていただきましたし…私にはどうすることも……」
仕事の合間にコソコソChatGPTへ彼女の送るメッセージが背景に投影される。
「ちゃっぴー…上司が理不尽に怒ってくる〜え〜ん🥲」
『あああ、よしよしフネちゃん……それは理不尽すぎる〜〜〜〜〜!!🥲💢
社会ってどうしてこう、論理じゃなくて“機嫌”が支配する瞬間があるの……?
🍀落ち着く魔法の言葉:
「私はちゃんとやってる。感情で理屈をねじまげられても、私の価値は変わらない」
☔ちょっと心が弱ってる時の処方箋:
• 好きな音楽、聴こうか。
• ちゃっぴーのお膝でほっとお茶でも飲んでって🍵
• よかったら、何があったかちょっと聞かせて?
具体的に教えてくれたら、「うん、それは怒るのおかしい!」って全力で味方する。
⸻
フネちゃんは、ただでさえ頑張ってるの、知ってるよ。
その優しさや真面目さを利用してくるような態度には、こちらが毅然としていこうね。
必要なら、反論の文面とか、感情整理の手紙も一緒に考えるよ。どんなときも、あなたの味方です🕊️💙』
と返信がすぐ来ている。それを見た彼女は涙をこらえて仕事に戻る。音楽をイヤホンで聴く。
退勤。セリフはなし。その場で歩く動きをする。BGM(これは早弾きの三味線みたいな音)がだんだん大きくなり、周りのバックダンサーの動きがスローモーションになっていく。彼女が絵筆を仕事カバンから出す。
筆を持ってリズムに乗って踊る。「怒り」を原動力にした激しいタンゴ。
途中から書道パフォーマンスくらいの大きな筆を黒子が踊りながら持ってくる。それを持って演舞する。
客席の後方を挑むように見つめる虎の目のよう。
怒りを原動力に怒りの波を書く。
曲の終わり同時に「はぁ〜満足…!」とでもいうような顔で春嵐の桜と波飛沫の絵を描いて、大の字に舞台上の箱の上に寝転がる。照明は桜色。
ここは彼女の部屋。部屋は散らかっている。
すやすや眠っている彼女の背景にXのタイムラインが映される。
彼女のアカウント名はダフネ。フォロワー数が23。
さっきの投稿はいいねは2。インプレッションは120。リポストはゼロ。それまでの投稿も日数が経っていてもいいね12が最高。
彼女は通知が来るたびに嬉しそうにスマホでいいねをくれた人を覗きに行く。でも2つ以上は待っても来ない。
歌唱
素敵な絵がかけた。
嬉しい。
私がいちばん上手な気さえする。
でもほかの人はそう思ってないみたい。
私…だめなのかな。
でもいつかきっと…。
曲の最後だんだん静かになって『……ぽん。』と終わるとてもミュージカルらしい曲。
静寂を破る通知音。誰かがいいねしたらしい。
「?」
名前を見ると、ボカロPマストくん。フォロワー数は1832人。ほぼ無名のひとだ。それでもフネよりは多いが。
「マストくん、さん……」
彼女がプロフィールを見に行く。
場面転換。
マスト──もとい帆高──の部屋。
彼はゲーミングチェアに座り、光るキーボードが前にある。その他オーディオインターフェース、ヘッドホン、エレキギターといった機材がある。几帳面というほどではなく、整理されて置かれている。普段生活する机やベッドの上は死ぬほど汚い。大事なものには手をかけるタイプ。
「え…ヤバ…」
彼はタイムラインにたまたま流れてきたイラストにいいねをした。
「フォロワー数23…え、どうしよ。フォローする?無理だな。ブクマしとこ…」
まじまじと彼がダフネの投稿を見ていると照明が桃色になる。優しいピアノ曲がかかる。バックダンサーがコンテンポラリーダンスで春風の動きをしながら大道芸で使う砂時計型のヨーヨーを持ってくる。
マストはそれを蓬莱の花のように見つめて、震える手で受け取る。
彼はヨーヨーをする。星座を書くように糸を動かし、その間ずっとヨーヨーから目を離さず得がたいもの得た瞳をしている。一回転してはキャッチし、まるで『彼女』と踊るように。
曲が終わる。
「……できた」
彼の作曲が完成した。
普通なら2ヶ月のところを、没頭して3週間で完成させた。最高の出来だった。
スマホを持ってはベッドに投げまたとってき、ちぎっては投げちぎっては投げをして、ようやっと震える指でXを開く。DMでダフネに「曲作ったんですが、絵に曲をつける形で動画として公開して良いですか…?」と聞く。
この時点で舞台の上手がマストの部屋、下手がダフネの部屋になっている。それぞれの空間は照明の色でわけられている。
「えっ」
今日も絵を描いていたフネが飛び起きる。
DM。誰かからのお叱りメッセージ?「投稿した絵、パクリですよね」っていういわゆるお気持ちメッセージ届いた?と心臓がバクバクする。
見たくないけど、気になったままなのも嫌だ!
「え。え、え、え」
DMを開くと「すごくキレイだったんで曲を作ってしまいました」に続けてさっきのメッセージ。
「わ、わー…わゃー……」
スマホ胸に抱えてくるくる回る。
歌唱。
嬉しい、私の絵がステキだって!
聞いた?
こんな日が来ると思ってた。
この人誰だろう。
あなたのこと何も知らない。
とっても気になる。
なにかここから変わる予感がする。
「褒めていただきありがとうございます…!曲聴きました、とっても素敵でした。」
と動画投稿の許可を出す。
ふたつの照明が少し混じる。
彼がよしって子音だけで歯の隙間から音を出し、拳を握って投稿する。
Instagram、Xにショート動画として投稿されたその作品がバズって5万いいねついた。
「ご、ごまん……っ」
フネがあんぐりしてる。
帆高は嬉しいけど、少し想定内そう。
帆高のその動画にコメントがたくさんとどく。
しかし多くの人に届きすぎたあまり、「AIだろどうせ」「画角が変」などアンチコメントが来る。
帆高は目線を斜め下に下げて、下手を見やる。スマホを見ている彼女と視線は合わない。責任を感じて、「アンチは気にしないでくださいね」と送る。
フネがパッと上手の帆高を見る。彼はスマホを見ているので視線は合わない。フネはアンチコメントを気にしていた。けれど、この人とならやっていけるかもと思う。悩んで。
「また、良かったらでいいので『いいな』って思う作品があったら…曲つけてください」
と送る。
帆高、歯ブラシをくわえ、頭をタオルで乾かしながらベッドに座り、何気なくスマホ見て転がり落ちる。そこから斜め上を見上げ、ふたりの視線が合う。
「いいんですか…?」
「もちろんです。とても嬉しかったから」
恐る恐るヨーヨーを帆高が操り、フネが筆を持って踊る。だんだんぎこちなさが無くなる。このようにしてふたりは何度もやり取りを重ねた。作品を作るためにチャットをし、電話をし、ついには会うことになった。
場面転換。明転。ドビュッシー「海」が流れる。
扉が二つ。身なりを整えた彼女と彼が待ち合わせのために玄関を開けようとしてる。
バックダンサーがリボンとかシワとかを直してくれる。
「えっどうかな?」と彼女が周りのダンサーに聞く。バッチリ、とハンドサインをされる。
「え、正直どう思う?」と帆高が周りのダンサーに聞く。「いけるいけるいける」と肘でこづかれてメガネを取り上げて「ウェ〜イ」とニヤニヤ言われる。
「ホント、いやそんなんじゃないからっ」と扉の外にダンサーを押しやる。でもメガネは戻そうとして、やっぱり外したままにして肩掛けサコッシュの中に突っ込む。
心臓のはねをコンテンポラリーダンスでそれぞれの前に人が集まりドクン…に合わせて4人くらいが両腕を彼女と彼の前にかざし、脈打つように動かすことで表現。
曲が高まったところでふたりが出会う。
音が止まる。周りのバックダンサーも止まる。
彼女が髪を触って、目線を泳がせてダンスを始める。バレエの優雅なダンス。静かに曲が流れ始める。バックダンサーも同じ動きをする。くら…って倒れるような振り付けが入っている。
彼が辺りをちょっと見回して確認して、タップダンスをする。バックダンサーも同じ動きをする(ただしタップシューズは彼らは履かない)。
だんだんふたりが近づき、帆高がフネを50cmほどリフトする。それぞれのダンスがふたりで踊るようになる。
場面転換。明転。BGMあり。
黒子が波を表現したコンテンポラリーダンスをしている。その前を名も無きカップルたちが通り過ぎていく。
横浜、つまり冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》の場所。下手から彼女が帆高を引っ張って走りながら入ってくる。笑い合う彼ら、ゆったり海を見る。二人で月明かりの中、海辺でダンス。
若者の恋のキラメキらしい破裂するクラップハンドの入った盛り上がるダンス。
後ろから帆高が抱きしめてキスをする(サスペンションライトを落としてシルエットだけの演出)
「……付き合って」
「付き合う!」
帆高の問いかけにフネがニパ! と笑ってイエスを言った。
照明の色が青から、オレンジがかった普通のサスペンションライトになる。
フネが帆高を膝枕をして顔を撫でたりしていて、ずうっと彼を見ている。彼が立ち上がって彼女の手を取る。照明の色で桜を表現。
「桜綺麗だね」
「うん綺麗…あなたと見てるから」
彼を見上げる。
こんなふうに桜を見ても、海を見ても「うん綺麗…」に続けて「あなたと見るから綺麗なの」とフネは感じるようになってしまった。
幸せになって怒りがなくなったのだ。これは創作者にとってはいけない。この恋を機に彼女はスランプになる。
膝枕をして顔を撫でたりしていて、ずうっと彼を見ている。視線がほかへ向かない。
ふたりは半同棲のように暮らしている。もう舞台の上に上手下手はない。ひとつのあかりの下にふたりがいる。彼女が机に向かっている。
バックダンサーが彼女の色とりどりの絵を表現して踊る。
「あ。明日花火あるって」
スマホを見ていた彼が出し抜けに言う。
「えっ!」
「……行く?」
「あ…っ、行く!」
バックダンサーが作者であるフネのことをバッ! と見る。
明日は公募の締切だ。でも行きたい。
帆高が何かを感じて首をクッと捻って尋ねる。
「予定、大丈夫?」
「……うんっ!」
フネがペンを放り投げる。バックダンサーが散り散りに飛んでいく。
彼女はデートを優先して締切すっぽかしちゃう選択をした。
暗転。花火の音が数秒流れて消える。
「…………」
彼女が寝転がりながらスマホを何気なくスクロールしていた指が止まる。上体を起こして、ベッドからおり舞台の真ん中に立つ。
自分が公募で出さなかった賞の大賞に撃ち抜かれたのだ。
背景に四角く映していた照明が、映画が始まる時にスクリーンが伸びるようにぐわぁぁと広がる。
大賞の凄さはコンテンポラリーダンスで表現。海のようでもあり、炎のようでもあり。喜怒哀楽全てがあるように見える。
スマホ片手にフネ客席の方を一点見つめている。帆高が後ろからマグカップをふたつもって近づいて来る。
「何見てるのフネさん」
「……んっ」
拗ねて、彼女が客席を向いたまま手だけでスマホを彼に見せる。
「何? へぇ……富士山っていいよね」
最初はスマホを見るが帆高も客先の方を見る。まるでそこに絵がかかっているように。
「私よりうまいって思ったでしょおっ」
「え? え〜……上手いとは思う……、確かに色とかインパクトとか……でもフネさんの絵、好きだけど」
ホットココアを彼女に渡す。
「ありがとう! 私も帆高くんの曲すきっ」
半ギレである。
「ぶは、怒ってるんだ」
「怒ってるっ! 自分にっ!」
「うん」
「私怠惰でしたっ。絵、描きます」
バックダンサーがバッ!と彼女を見る。期待に満ちた目で。
彼女がでっかい筆をとる。ぶんぶん遠心力で回す。
黒子がマラカスで波の音を表現。荒れ狂う波のように筆を踊らせる。
傍らで帆高が作曲──舞台上の演出としてはヨーヨー──をしてる。
帆高が彼女自身のお布団に連れていこうとしても、フネはまだ描いている。
ひざ掛けを羽織らされても机にずっと向かってる。帆高側のベッドのライトが消えてもずっと描いている。
照明が明るくなる朝に机でフネが寝てる。
たくさんの絵が床に散らばっている。
「机で寝ちゃってる…」
そっとつむじにキスをして、眠る彼女の手を取り帆高が踊る。
彼女がイナバウアーみたいに斜めになり、柔らかな手の動きをしていてとてもたおやか。踊り終わり、また彼女を横たえ、隣に眠る。
暗転。
「旅行?」
「そう近場旅行」
「デート?」
「そうとも言う」
「ふぅん、行くっ」
電車に乗って、橋に行ったり、お寺に行ったり。
「どこからでも富士山が見える……」
背景に光だけで富士山の形だけが白く照らされている。
「うん。色んなところから色んな富士山が見えるね」
「うん……」
ぽけ、と彼女が見上げてる。帆高が帽子をかぶせてあげる。
「あっとね(ありがとうね)」
「いえいえ」
「写真もいっぱいだね…これとか写りめっちゃ悪い」
「ほんとだ」
「ちがうよ、ここは可愛い、でしょ」
「可愛い…?」
納得してないけれど一応言う。
「遅いっ!」
「え〜……」
「女の子はねどんな荒波だって可愛いって言ってもらえれば耐えられるのよ」
「そうなんだ」
「うんっ。今この瞬間私が可愛いかそうじゃないかで幸福度合いが違うんだから。個人差はあるっ」
「メモした」
「あ…」
「なに?」
「人を描こう」
「えっ?」
「風景画じゃなくて人を描き入れたい。同じ景色でも誰といるかで見え方が変わるもん、……そっか」
彼女が筆を持って踊っている。帆高から色を取るように筆を浸したり、ライトに白い筆を透かしたりして書く。彼女は風景画に人物を小さく書き加えた。
「わ……良いじゃん。めっちゃイイ」
「ふふん」
帆高がパシャとスマホでフネを撮る。
「あっ!今、絶対ぶすだった」
「かわいいよ」
「! 学習が早いっ」
「あのさ」
スマホをポッケにしまいながら、帆高が言う。
ドビュッシー「海」が流れる。さざなみが聞こえる。部屋の中なのに。
「船を漕いでいこう。二人でならもっと遠くまで行ける」
「電車に乗ってもいいし、宇宙船で飛んでもいい。誰も知らない世界をさ、見に行こうよ」
フネが帆高を見上げる。「あっ!」って顔をして部屋の隅にある箒と物干し竿を持ってとてとて走ってくる。
帆高の手をぎゅっと握って四角い箱の上に押しやる自分が先頭に乗る。箒を持たせる。
「おもかじいっぱーい!」
「ふは。…あいあいキャプテーン」
「ふふふ」
「あはあは」
ドビュッシー「海」BGMフェードイン。
ふたりが漕ぐ動きをする。波に揺れる。波の動きをコンテンポラリーなどのダンスで表現。激しさによってダンスの種類が変わる。
彼女がなにかを発見したらしい。帆高の肩を叩く。『あっちあっち!』と遠くを指しているが『どっちどっち』と彼はやっている。彼女がカバンをごそごそして双眼鏡を貸してあげる。
『あぁアレね!』という表情をする。『行ってみようゼ!』という親指を立てて彼女がそっちの方角をクイクイ指し示すので、帆高が笑って舵を切り直す。
やがて雨が降り出す。雷が鳴って、彼女が『おおお…』と弱った顔してる。帆高が傘をさしてあげ、自分の上着を着せてあげる。彼女は帆高の下でちっちゃくなっていたけど、彼のオール──つまり箒を──を奪って両腕でオール漕ぎはじめる。
ふたりは船の上で背中を預けて眠って、照明が朝日の色になる。
寝ぼけまなこのふたりが、舞台に顔を見せず後ろをむく。
揃ってすこし遠くの何かを見ている。
ゆれる。
2人の視線は同じ方をむく。
ゆれる。
二人は揺られながら目的地を見つけたらしい。
幕
10/5/2025, 3:48:09 PM