ざざなみ

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『記憶の海』

ある日、交通事故に遭った。家族と一緒に遠出をして帰路についた時だった。
反対車線から突っ込んできた車と正面衝突をした。
その日から僕は記憶喪失になった。
医者が言うには、頭を強くうってしまったせいらしい。一時的なものだけど、すぐに戻ることもあれば、一生戻らないこともあると聞いた。
僕は記憶を失っていたので何とも思わなかったけど、それを聞いた家族は泣き崩れていた。
僕が入院してから数日後、幼なじみだという女の子が会いに来た。
その子は僕の両親から僕の記憶を取り戻す手伝いをして欲しいと頼まれたのだそうだ。
その子は来てそうそうに、僕の反応を見て
「私の事も覚えていないと思うから、とりあえず何か会話しない?日常であった些細なことでもいいから」
と優しく微笑みながらそう言った。一瞬だったけど僕はこの子の笑顔を知っている気がした。
その日から僕は、彼女が毎日病室に来ては、些細なことや何の変哲もないことを話してしばらくすると帰って行くという日々を繰り返していた。
ある日の夜、夢を見た。幼い頃の僕と彼女が何かいい事があったのかお互いに笑い合っている夢だった。
―――あぁ、思い出した。幼い頃、僕はいつも何かと無茶をして怪我ばかりしていたからよく彼女に怒られていた。でも、結局は最後に“ しょうがないなぁ”と言いながら笑って許してくれるのだ。
翌日。
彼女に少しだけ記憶が戻ったことを伝えるといつもの笑顔で微笑みながらとても喜んでくれた。
記憶がなかった頃の僕はまるで深い海の底にいるような感じがした。
息が苦しくて、視界も何処を見ても真っ暗で心細かった。
どれだけ記憶を取り戻そうとしても靄がかかったみたいに何も思い出せずにいた。
そんな空虚な世界から彼女は僕を救いあげてくれた。
昔から変わらないその笑顔でこの真っ暗な記憶の海から。


5/13/2025, 12:01:06 PM