その国の王様は一本の小さな枯れ枝を肌身離さず持っていました。
渡り鳥が渡りの時に咥えていたという、本当に小さな小さな枯れ枝です。王様はその枝を時折愛おしそうに指でそっと撫でては、お妃様にも見せたことの無い表情をするのでした。
王様の身の回りのお世話をしながら、私は毎日のように王様のそんな姿を見ていました。
何の変哲もない小さな枯れ枝。
鳥が咥えていたという、嘴の痕がはっきり見えるその枝は、王様にとって王冠よりも大切なもののように見えました。
広い海を渡る鳥達が、休むために咥えていたという枯れ枝。王様とこの枯れ枝に、どんな関係があるのでしょう。何度もお尋ねしたいと思っていましたが、王様があまりに切ない表情をされるので、結局私は聞けずにいるのでした。
ある年の冬のことです。大きな大きな災害がこの国を襲いました。
大臣達がひっきりなしに報告に訪れます。
ひと月が経った頃、最果ての海にある灯台が崩壊していたという報告が大臣によってもたらされました。
――その時の王様の顔が、忘れられません。
王様は青く美しい瞳を一瞬大きく見開くと、やがて「そうですか」と小さく呟きました。
その、いつもの王様らしからぬ力の無い呟きに、私は王様の中で何かが失われたのだと、そう思いました。
王様は精力的に各地を巡り、災害に見舞われた人々を励まし続けました。広大な国土の南の端からゆっくり北上し、一年後には北の最果てへ辿り着きました。
一時間もあれば回れてしまう小さなその島の灯台は、すっかり廃墟になってしまっていました。
「·····」
崩れた石壁を王様は無言で見つめています。
しばらくそうして立ち尽くしていた王様は懐から小さな枯れ枝を取り出すと、瓦礫の山にそっと置きました。
「さようなら」
囁くような王様の声でした。
その目に光るものがあったのは、きっと気のせいなどでは無かったと思います。
やがてその島に風が吹き、枯れ枝も、砂礫も空へと舞い上がっていきました。
後には元の、崩れた石壁と灯台だった名残のガラス片が散らばるだけでした。
これは長くお仕えした私が見た、最初で最後の王様の涙のお話です。
END
「渡り鳥」
5/30/2025, 8:13:08 AM