Mey

Open App

地方公務員の広報として働いていたとき、広報誌の写真撮影をしていた。
地元で企業した若手にスポットを当てた記事の顔写真撮影。
起業家たちは自社のアピールになるからと写真撮影に積極的だった。俺は彼ら彼女らと同じ年齢層だったこともあり、写真を撮影しながらの雑談や企業の裏話など話は盛り上がり、撮影は滞りなく進むことが多かった。

ところが、撮影が困難を極めたことがある。
今日の撮影相手は民間の託児所を開設したばかりの人見知りのお嬢さん。
撮影交渉時に一度は写真を撮られるのは苦手だからと断られたが、それはままあること。
撮影者がいなくて困っていて、と粘ると、それならと了承を得られて、撮影にこじつけた。

託児所は自宅を建て替えして不要になった古い木造家屋をリノベーションした、木や緑の温もりに癒される空間だった。

キャラクターのエプロンを身につけ、薄化粧で髪を後ろにひとつ束ねた撮影相手の女性に話しかける。
市の広報誌と、それと全く同じ内容のデジタル版に掲載されるだけとは言え、女性でここまで飾り気がないのも珍しい。
第一印象はおとなしそうな人。元気な子どもたちの相手が務まるのかな、と頭によぎる。

「よろしくお願いします。緊張してますか?」
ぎこちない笑顔を浮かべる彼女は確認せずともわかりやすく緊張していた。
「はい、すみません、」
「大丈夫ですよ。このエリア、自然がいっぱいで素敵なところですよね」
「はい」
「前職は市の保育園で保育士さんとして働いていたんですよね?どういった経緯で託児所を立ち上げようと思ったんですか?」
「はい…」

どんなにこちらが笑顔で話しかけても、彼女の返事はYES、NOばかりで、沈黙が訪れてしまう。クローズドの質問を避けているのに、だ。
自然な笑顔は皆無、ぎこちなく引き攣った表情。
うーん、困ったなあ。
ファインダーを覗くのをやめて、俺は彼女に笑いかけた。

「一旦休憩しますか。俺、子ども好きなんです。ちょっとだけ見に行きたいんですけど良いですか?」
「はい、」
唐突な申し出に戸惑いながらも、彼女はホッとしたように微笑んだ。
本当は知ってたんだよね。
子どもの泣き声が聴こえたとき、彼女は子どもがいるだろう部屋の方向を気にしていた。
俺に様子を見に行きたいって言おうか言うまいか迷っていたんじゃないかって。

部屋を案内してくれる彼女の横顔を盗み見る。
フィルター越しに見ていた少しおどおどしていた瞳はそこになく、あるのは前をまっすぐに見つめた瞳。
天然の睫毛、ビッシリ生え揃ってクルンと上向いてる。
たっぷり自然光が差し込んで照らされた横顔は輪郭が浮かび上がっていた。
天然美人---そんな言葉が思い浮かぶ。


「この託児所は、保育園に入れなかったという子どもたちの預かり所なんです」
部屋に着いて、彼女は走り寄った子どもを抱っこした後俺を振り返って説明した。
って言うか、めっちゃ説明できるじゃん!さっきまでの、何だったんだよ…!
「せんせい、おしごとおわった?」
「まだだよ。さっき、泣いてたでしょ?聴こえたよ?」
「うん、ぼく、ころんじゃったの。でも、ドクターイエローはってもらったからだいじょうぶ!」
「そっかそっか」
膝にはドクターイエローのバンドエイドがひとつ。彼女がそっと抱っこを降ろすと、走って行く男の子。

彼女や男の子にとって写真撮影は仕事。じゃああなたにとって保育は何ですか、ってツッコミたくなる。
それに、泣き声で幼児の特定ができるって、すごくね?
男の子も女の子もいっぱいいるぞ?

女の子2人組が俺に近づき、俺を見上げた。俺は腰を落とす。小ちゃくて可愛いなあ。
「だあれ?」
「あ、僕は先生の写真を撮りに来たんだよ。先生、雑誌にのるから」
「わあ、すごいっ」
「みんなの写真も撮ってあげるよ。先生、子どもたちの遊んでいるところ、撮っても良いですか?」
「え…」
「雑誌には載せませんから。良ければ飾ってあげてください」
「ありがとうございます」
ペコリとお辞儀した彼女に笑う。ぎこちなさは抜け切ってないけど、はにかみの方が勝ってる。

俺はカメラを構え、フィルター越しの世界を見つめる。
どの子も笑顔。彼女も笑顔。
子どもと一緒の彼女は、楽しそうで幸せそうで、俺はシャッターを切る。
広報誌の今回のテーマは、託児所をオープンした若い保育士の素顔。だから、こういう写真でも良いはず。

フィルター越しに、彼女を中心に添え、彼女の視線は子どもへと向かう。
俺は笑顔の彼女に、シャッターを切った。


「休憩、ありがとうございました」
彼女は穏やかに微笑んだ。
俺への緊張も溶けてくれたみたいだ。
「さっきは緊張してしまいごめんなさい。もう、大丈夫だと思います」
彼女の瞳は俺を捉え、瞳はキラキラと輝いている。
この部屋に来る前の廊下で見た横顔の光景を思い出した。

俺は笑って言う。
「今日は良い写真がたくさん撮れました。ありがとうございました」
「え?えっと…」
戸惑う彼女に笑って、俺は彼女の前にカメラを掲げて画面を覗き込んでもらう。この部屋で撮れた写真をカメラの画像モードで再生した。
「良い写真ばかりでしょう?」
「いつの間に…驚きました」
「カメラ目線じゃないんですけど、先生が子どもを優しく見つめる横顔が素敵だったんで、コレが今日のベストだと思います」
「はい…」
「コレを見たら保育園じゃなくてこの託児所に預けたい親御さんも出てくるかもしれませんね。先生、忙しくなるかも」
「そんなこと、ないと思いますけど、」
「半分冗談、半分本気です」
彼女は俺に向かって、初めて楽しそうに声をたてて笑った。
「もしもそうなったら頑張ります」
「はい。応援してます」


あのフィルター越しの子どもたちと彼女の笑顔は、俺の宝物であり、原点。
今、俺はプロの写真家として活動している。
隠された魅力を引き出して映し取るためにその人の世界を広く眺めてフィルター越しに一瞬の魅力を切り取っている。




フィルター

9/10/2025, 3:27:53 AM