髪弄り

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陽光の心地いい朝のこと、語られ村の少年は、いつものように手伝いに駆り出されておりました。汗水垂らし、畑を耕す。

もしここで現代のナチュラリストなどがおりましたら、なんと素晴らしいと賞賛の嵐を贈ったかと思われますが、少年はいささか不服そうでした。

それもそのはず、彼には大きな夢がありました。それは、片田舎、古ぼけた農具を最新と称するほどのこの村から、いつか都市へ旅立ち、冒険者になりたいというものです。

農作業に日々を費やし、芋臭い娘と家庭を築き、子にもまたそれを求めるなど、彼には言語同断。彼に必要なのは鍬ではなく、馬を握る手綱なのでした。

「ちょっと、休憩しよう」
すっかり汗だくの少年は、
土も一通り和らいだので、鍬を立てかけ、ちょっと一息つくことにしました。

青々とした芝に腰を下ろすと、大きな風がびゅんと吹き、小さなバッタは大慌て、追いかけて蜘蛛も避難します。
森に小鳥たちの声がこだまして、小さなオーケストラをひらきます。彼は籠に載せられたグミの実を、一つ二つとつまみながら、爽やかな喧騒に耳を傾けるのでした。

「キィ…キィ…」

耳慣れない声が聞こえます。少年も思わず、食べるのをやめ、その声に注力します。
「井戸のほうからだ、キツネでもオオカミでもないぞ、聞いたことない、なんだろう」

甘いものも食べて、ちょうど喉も乾いていたので、声のほうへ抜足差し足、慎重に向かいます。

その声はどんどん大きく、どこが苦しそうになっていきます。ゴツゴツした岩肌のような井戸が見えてくると、そこにバシャバシャ水の跳ねる音が混じってきます。

少年はなんだなんだと、足がもつれつつも、急いで中を覗き込みました。

暗いくらい井戸の底には、銀色に輝く小さなナニカがいました。必死に跳ね回り、もうめちゃくちゃに身体を動かしもがいています。

少年は何がなんだかわかりませんでしたが、咄嗟に桶を井戸に落とし、つりそうな手に力一杯、暴れ坊と化した桶をなんとか引っ張りあげました。

陽光が照らし、その正体を露わになります。それは、銀の鱗に包まれて、こぶりの尖った爪があり、小さな翼をはためかす、
そう、ドラゴンでした、しかも大きさは少年と大差ない、そう、赤ん坊のドラゴンが井戸で溺れていたのです。

ドラゴンは身体をブルブル振るわせて、小さな雨で少年を濡らしたあと、いきなり飛びかかります。呆気に取られた少年は、尻餅ついてなすがまま、身体中ペロペロと舐められました。

数秒の沈黙の後、彼はドラゴンを引き離し、ようやく状況を理解しました。

(すごいぞ、キツネでもオオカミでもないぞ、ドラゴンだったんだ、でもどうして井戸なんかに…)

ドラゴンはキィキィと甘え、頭を近づけてきます。よく見ると眼はまだひらきかけ、少年を親と勘違いしたのでしょう。

「おまえ、なんだ、俺のこと好きなのか」
肯定かどうかわかりませんが、ドラゴンはまた少年を舐めます。

「わかった、わかったから、そうだな…、でもうちに置けないしな…」

それは当然、ここは単なる田舎村、ドラゴンブリーダーがいるわけもなく、食糧も十分というわけではありません、ましてやドラゴンですからたいそう食うことは予想できますから、彼は頭を悩ませました。

(そもそもここに置いて、親が帰ってたら大変なことになる…、村が黒焦げになるのは流石に嫌だ)

少年はハッと思い立ちます。
「おまえ、ちょっとこっちに来い」
彼は森の方へとドラゴンを引き連れ向かいます、そこは少年の秘密基地、大きな沢と、溢れる果樹の森林です、ここには野生動物も多く訪れ、今日はうさぎの姿がありましたが、ドラゴンに驚き、まさに脱兎と、逃げました。

「ここなら食糧はうんとある、おまえも腹一杯食べれる」

「俺以外がきた時は、あの木のうろに隠れてやりすごすんだ」

「おまえは今日からドラゴンの子だから、ドラコだ。毎日くるから、まってるんだぞ」

人の言葉はわかりませんが、何か察したのか、ドラゴはキィキィと返事しました、少年もまた上機嫌に頷いて、そこから小道を駆けていきました。

(よしよし、やったぞ!あいつがいれば、俺も冒険にいけるかもしれない、鍬を持つのも牛の世話ももう少しの辛抱、こんな村からはおさらばだ!)

少年は胸に夢想を踊らせながら、家に帰りました。その夜、作業を途中で放り出し、かんかんに怒られたものの、どんな酒でもこんな酔っ払いは生まれないほどに、空想に酔った少年には、馬の耳に念仏。
そのまま心地良い眠りについたのでした。

次の日から少年は、森へ通うようになりました。最初は会うたび会うたび、飛び掛かられて、大騒乱となったものの、次第に色々するようになりました。一緒にうさぎを捕まえたり、魚をとったり、木登りしたり、
背中に乗って、村まで飛んだり…

いつしか少年は、ドラコに兄みたく接するようになりました。撫でてやったり、一緒に笑ったりするのが楽しいのです。

もし、叶うなら、一人ではなく、ドラコと共に空を飛んで都市へ行けたら、そんな想いが少年の心に灯りました。

しかし、その空想も長くはありませんでした。ある日のこと、
青年はいつもの様に森にやってきました。
口笛を鳴らすと、ドラコがばっと飛びだします。もう身体はすっかり大人、琥珀色の瞳に大きな爪は、まさしくドラゴンという姿でありました。

「ドラコ、今日は飛ぶ練習だ。おまえも大きくなったことだ、少し遠出してみようじゃないか」

ドラコは身体を屈めて、青年は背中に乗ります。用意した手綱を掴むと、大空へと勢いよく飛びあがります。

視界には、どこまでも広がる森林に原野、遠くには街が見えます。尖塔が雲を貫いて、伸び上がり、陽光に輝いています。

「よし、ドラコ、今日はあそこを目指すぞ」
ドラコはギィ!と鳴き、雲を弾くほど翼をはためかせ、町へと向かいました。

荷馬車を引く商人に、雑談に明け暮れる夫人たち、遠くからでも人々の生活はよく見えます、少年が特に見るのは冒険者たち、思い思いの武器には、赤錆と傷が残り、長い戦いの日々を思い起こさせます。

青年はそんな姿に自分を重ね、剣を振るい、ドラコと共に敵を薙ぎ倒し、英雄の様に凱旋する。そんな空想を描いていました。

(もう夢じゃない、そろそろだ、ドラコと共に
最高の戦士を目指すんだ)

突然、彼を振り落とさんばかりの強風が襲いました。

「ドラコ!いきなりどうした!」
そう、ドラコが突如として速度をあげ、町から離れているのです。青年が空に眼をやると巨大なドラゴンがいるではありませんか、ドラゴンはドラコめがけて猪突猛進、すごい速さで迫ってます。

青年は手綱をしっかり掴み、可能限りスピードを上げます。
「がんばれ!ドラコならいけるぞ!おまえはどんな奴よりはやいんだ!」
しかし、その努力虚しく、ドラコは苦しげな息をあげながら、よろよろと平野に身を下ろしました。

すぐさまドラゴンも降り立ち、彼らを見下ろします。煌々と輝く銀の鱗に、巨大な翼。何もかも見通す様な黄色い瞳、圧倒的な威厳、それは恐ろしくも、何処か寂しげでした。

ドラゴンは、ドラコに頭を近づけると、
「ギィ…ギィ…」と鳴きますが、ドラコは縮こまり、青年の背中に収まりきらない身体を隠します。

青年は、兄として、育ての親として、ドラコを守ろうと前に立ち、震えながらも小さなナイフを向けました。

しかし、ドラゴンは意にも返しません、
ただ、その寂しげな眼で見つめるだけです。

はっとして、青年はドラコと竜を見比べます。そう、瓜二つ、この竜はドラコの親だったのです。彼女はまだ羽も未熟なドラコを落っことし、ずっとずっと探していたのです。そして、今日この日、ようやく大事な息子の、それも成長した姿を見つけたのです。

青年はしばし俯いていましたが、やがてドラコに向き直り、口を開きました。
「ドラコ、こいつ、おまえの母さんだって」
「ほら、やっと迎えがきたんだよ」
ドラコはそれ聞いて、向き直ります。

見つめ合う二匹の竜は、思いが通じ合ったのか、互いにギィギィ鳴きました。
ドラゴンは翼を広げ空へ舞いますが、
何か躊躇する様に青年を見つめます。

青年は目元を抑えながら、縦に首を揺らし、最後の合図を吹きました。

すると、二匹の美しい銀竜は、遠い遠い空の彼方へ飛び去っていきました。それを見送る青年は、頬の赤腫れを親につめられながらも、ほどなくして旅立つのでした。

『遠くの空へ』

4/12/2023, 2:02:42 PM