ある読書系動画の方がイチオシであげていたので、『ロリヰタ』を読んだのですけど・・・読んでない人はしょうがないのでここから先は見ない方がいいです。
この作家さんといえば、深田恭子の『下妻物語』だったのですが、今作も前半はロリータファッションのブランド(メゾンというらしい)の名前とかがたくさん出てきて、それに主人公の流行作家が鼻につくというか、まあそんな感じでした。そして後半になると、多くのひとが好意的な評価をしていない展開になっていきます。(まあそれでも決定的な状況にはならないのですが。)
けど思うのは、この領域に対する判断って、社会の秩序とか侵害の防止とかの観点からくる「社会規範」(ルール)の部分が大きいのですが、そもそもそれ以前にそういう感情を抱いてしまったり、もちろんそれに嫌悪感を抱くのも、これは理性ではどうにもできないような「真実」なんじゃないのかなと。
ええ分かります、けど世の中にはイヌやネコを溺愛して「命」、みたいな自分のような人間もいて、するとそこに性愛もなく人間ですらない相手にも成立するものが、そして親であれば当たり前にある感情が、発生してしまうことならありうるんじゃないですかね。
それに、どんどん地獄に向かっていくほど揺らぐことがなくなり、むしろ主人公から嫌味が抜けていくあたり、まさに純愛であるような気もしてしまいます。
ただし、この作家さんの面白いところは、そういう展開を切々と書いていながら、文筆家ならばこういう状況ぐらいは言葉でいくらでも正当化できる、みたいなメタい記載も混ぜ込んでくるところですし、さらには世の中には地獄の方を手に入れるべく恋愛をダシにする人たちもいるので、けっこう難しい。
(もちろん、SadeからBataille周辺までを履修済みの方なら、脳内にこういう世界が拡がるくらいは余裕でしょうし、ひとによっては距離をおきながら耽溺したり、むしろ脳内が精液、愛液、血液まみれでびしゃびしゃにならないのは物足りないくらいなのかもしれないです。)
それに、いろんな作家(や加護亜依)へのオマージュも盛り込まれている作品なのですが、そもそも「ヰタ」なんて言葉からして鴎外以外の何ものでもないので、ここにはやっぱり性愛が蠢いていると考えるんでしょうか。
いずれにしても社会規範はsocial norm。これに反するものは、いくら真実であってもnormalではありませんし、そういう社会的な判断はどうにもできないもので、しかも重要です。
4/25/2026, 1:10:30 PM