お気に入りの場所がある。
家を出て、およそ50メートル。民家と民家の間を縫うように小道を進んだ先に、さらに細い道がある。大人なら通ることを忌避するかもしれない、そんな場所。幼いこどもにとっては、秘密基地への入口だ。
木々の間を抜けた先、狭かった視界は一転して開けた空間が広がっている。たくさんの黄色い花々が出迎えてくれるのだ。
そこは菜の花の群生地だった。よく見ると、タンポポやオオイヌノフグリなんかも紛れ混んでいる。背の低い控えめな彼らはノッポの菜の花に押されて、あまり目立たない。
幼少期、ここは私の秘密基地だった。忙しそうな大人たちは寄り付かない、私のための、私だけのお花畑。私だけの場所だと思っていたけれど、ある日、そこには先客がいた。
私と同じくらいの背丈の、男の子。花に埋もれるように佇んでいた彼は、景色も相まって妖精か何かのように見えた。彼と仲良くなったのはすぐだった。出逢うたび、他愛の無い話をした。大切で、あたたかな、春の記憶。梅雨を迎えて、夏になり。意気揚々と向かったそこに、彼の姿はなく。
それからついぞ、彼と出逢うことはなかった。 遠くに行ってしまったのか、……何か、あったのか。それすらももう、分からない。
大人になった今でも、フラリとあのお花畑に赴くことがある。私も忙しそうな大人たちの仲間入りを果たしてしまったので、休日の晴れの日だけ、という条件付きではあるけれど。
とくに、春の間はできるだけ此処に来るようにしていた。目に優しい柔らかな黄色は、私の荒んだ心を癒してくれるから。それから、縋っているから。あのあたたかな日々に。
そうして今日も、大人の身では狭い小道を進み、いつもの、あの場所へ。私だけの、秘密基地。視界が開けるとそこには、一面の黄色が――いいや、黄色だけじゃない。
花に埋もれるように、誰かが佇んでいる。いつの日かの春の風が私の頬を撫ぜていく。あちらを向いて佇んでいた彼が、此方を振り向く。
嗚呼―――。
あの日の春が、戻ってきた。
テーマ「花畑」
9/18/2024, 4:48:40 AM