時を繋ぐ糸
新品のスーツを着て顔を強ばらせた死神が、広大で無機質な施設内を上司に連れられて歩いていた。
「この仕事始めて?簡単だし大丈夫だよ。」
上司が笑うと眼窩の奥のがらんどうが見えた。
施設内にはイルミネーションの飾りのように四方八方に貼りめぐされた糸があり、似たような見た目の死神たちが書類を見ながら歩き回り、糸を探っては糸に着いたタグを確認し切っていく。
聞いていた話では、この糸は繋がりを示すものらしい。
友人、家族のつながり、恋人とのつながりから1度しかあっていないような朧気な繋がりまで、可視化されてみると1人分だけでとんでもない規模になる。この新人はこれから、この糸を切る業務に携わる。
死神といえば死を迎える人間を迎えに行ったり、魂の輪廻に関わったりするイメージが強いが、実際は人との関係性や記憶などの概念にまつわる死も扱うため、仕事の種類は多岐に渡る。とはいえ実際に命を刈り取る業務に比べれば、この仕事はかなり楽かもしれない。新人は内心ホッとしていた。
それから1週間後、新人は毎日淡々と業務をこなしていた。リストにならって膨大な量の糸から目当てのものを探すのは大変だが、さして頭を使うわけではない。
にもかかわらず、新人は重大なミスを犯した。切る糸を間違えたのだ。H氏という人物と、幼少時代から軋轢のあった兄との繋がりを切るつもりが、1文字違いの弟との繋がりを真っ二つに切ってしまった。焦りに焦った新人は、こっそり切れた糸を結び直した。
H氏は仕事から帰る道中、鞄の中で振動した携帯電話に気がついた。
「もしもし」
「もしもし!?あんた、ーーーが事件起こしたって、強盗。連絡きた?警察から聞いたんだけど、ーーーは母さんには連絡よこさないの。」
母の声だった。弟が事故を起こしたらしい。急いで電話が来ていないか確認しようとしたが、弟のメールアドレスが登録されていない。H氏は訝しく思った。そんなはずがない。先日だって弟と久々に会って話をーーーーーー
いや、おかしい。つい先日あったという覚えがあるのに、どこで会ったのか、いつ会ったのか、どんな話をしたのか、弟がどんな顔をしていたのか全て思い出せない。混乱しているH氏の耳に母の声が飛び込んでくる。
「とりあえず警察のとこ行ってくるから、すぐ電話出られるようにしといてね。」こちらの返事も待たずに切られた電話よりも、H氏は自分の記憶を探るのに必死だった。どうして何も思い出せないのだ。
その頃、新人は結び目を上司に見つけられ、項垂れたまま話を聞いていた。「君ね、失敗したら誤魔化さずに正直に言いなさいって教えられてこなかった?特に大事な業務なんだから、こんなところで誤魔化したら齟齬が生まれるでしょう。」はい、はいと肩を落として相槌を打つ。ため息をついた上司は、自分のハサミを取りだした。「こういうのはな、1度切ったらどうにもならないから、もう切っちゃうしかないんだよ。」そして、結び目ごと糸が断ち切られた。
その頃、半狂乱になった母から電話を掛けられたH氏は警察署にいた。弟は事件を起こしたあと、逃走先でパニックになって海に飛び込んだらしい。偽名を使っていた上に持っているものに身分の証明できるものがなく、身分の特定が遅れたらしい。それを電話口で母に聞かされたH氏は、しかしなんの感情も動かなかった。弟か、母は隣であの子はそんな子じゃないとか、友達思いのいい子だったとか言いながら泣きじゃくっている。
「すみませんが少しお話を聞きたい。弟さんに近頃変わったことはなかったですか。弟さんは、あなたから見て、どんな人でしたか。」尋ねる警官の手元に身分を偽るために弟が使っているらしい赤の他人の身分証があった。この顔を見ても、引き取られている弟の遺体の顔を見ても、感じるものは変わらなかった。どちらも知らない人を見ているという実感しかなかった。
「そうですね。私から見てーーーーー」そこまで言ってH氏は口を噤んだ。「すみません、私の弟の本名は何だったでしょうか」絶句する母と警察官に見つめられ、H氏はただただ困り果てた顔をしていた。
11/27/2025, 5:18:22 AM