かたいなか

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「去年の10月17日が、たしか『忘れたくても忘れられない』だったわ」
去年は「忘れる頃に『それ』が再度出てくるから、結果としていつまでも忘れられない」みたいなハナシを書いたな。某所在住物書きはスマホの画面を見ながら、忘れられぬ過去を振り返った。
表示されているのは○年前の△月の課金額。
爆死であった。人権武器であった。
サ終して久しい、□□▲円であった。

「『忘れる』ことができない特性持ちの人が、実際に居るってハナシは、どっかで聞いた気がする」
物書きは更に課金の履歴を辿り、ため息。
いつまでも忘れられない記憶力が有れば、この総額【編集済】はもう少し少なかったのだろうか。

――――――

年号がまだ、平成だった頃の都内某所。14年ほど前の春から始まるおはなしです。
このおはなしの主人公、宇曽野という名前ですが、某バスターミナルのあたりを散歩していたところ、高速バスから、自分より少し若いくらいの20代が降りてくるのを見かけました。
「来た、東京だ!暖かいなぁ!」
大きなキャリーケースと、小さな地図を片手に、少々残念な曇り空を見上げて、それはそれは澄んだ瞳を、綺麗な瞳を輝かせていました。

地方出身者だ。宇曽野はすぐ気が付きました。
「すいません!物を知らないので、聞くのですが、」
地図を見せて、宇曽野に道を聞く言い回しが、抑揚が、東京のそれと違ったからです。
なにより人を疑う視線を、これっぽっちも持っていなかったからです。
「この地図の、ここに、行きたいんです。どこのどれに乗れば良いか、サッパリ分からなくて」

まるで、明るい木陰で風に揺れる花だ。山野草だ。
宇曽野はこの花の人に、澄んだ瞳の輝きに、
少しだけ、興味を持ちました。

東京に出てきたばかりの、都会の人とシステムを知らぬ花の人は、どうやら自分の新居たるアパートへの行き方と乗り方が分からない様子。
興味半分親切四半分、残りは愛する嫁への土産話程度の本心で宇曽野が案内してやると、そのひとは礼儀正しく丁寧にお辞儀して、お礼を言いました。

数ヶ月後の晩夏、宇曽野は自分の職場の窓口で、再度花の人と出会いました。
「あなたは、あのときの」
花の人は、ブシヤマ、「附子山」と名乗りました。
「騎士道」のトリカブトだな。宇曽野は納得しました。やはり花の人は、「花の人」だったようです――有害無害、生薬利用はさておいて。

春に輝き澄んでいた瞳は、早速「東京」と「田舎」の違いに揉まれ、擦られ、疲れてしまったようで、ほんの少し、くすみ曇って見えました。
「ここに勤めていらしたんですね。あのときは、お世話になりました」
用事を済ませて帰ろうとする附子山に、宇曽野は「まぁ元気出せ」の意味で、ノベルティを2個ほどくれてやりました。

二度あることは三度ある、とはよく言ったもので、
数ヶ月後の冬の頃、宇曽野は自宅近くの喫茶店で花の人を、附子山を見つけました。
「宇曽野さん……?」
テーブルの上には転職雑誌。附子山の瞳は最初に比べて、ずっと、ずっとくすんで曇ってしまって、光は僅かに残るばかり。
あぁ。「染まってきた」な。宇曽野は悟りました。
そして少し話を聞いてやり、ついでにほんのちょっとだけ、附子山を気にかけてやることにしました。

連絡先を交換して、無理矢理その日のうちに昼メシの約束を取り付けて。これが宇曽野と附子山の、親友としての最初の日となりました。
宇曽野はその日を、一緒に飲んだコーヒーの味を、
いつまでも。いつまでも忘れられませんでした。

都民と地方民が出会ってからの、都民がいつまでも忘れられない日のおはなしでした。
附子山はそれから前回投稿分の経緯で初恋して、失恋して、諸事情で「藤森」と名字を変え、なんやかんやで宇曽野の職場に転職し、
宇曽野はそんな「藤森」と、時に語り合い、時に笑い合い、時にたかが冷蔵庫のプリンひとつでポコポコ大喧嘩をしたりしました。
おかげで藤森、東京の歩き方を学習し、「人間嫌い」もちょっと治って、曇った瞳がだいぶ輝きを取り戻してきておりまして、
現在は昨今の高温でデロンデロンに溶けたり、行きつけの店の看板子狐に髪の毛をカジカジされたり、
そこそこ幸福に毎日を、多分楽しんでるとか、意外とドタバタも多いとか。 おしまい、おしまい。

5/10/2024, 3:35:39 AM