めしごん

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リンカーンの日常はほぼ判で押したように平穏だ。夜明けと共に起きだし朝の祈りを捧げ、ささやかな朝食を食べ、オンボロ教会の修繕や水汲みなんかをしながら時折やってくる信徒達の悩みを聞いたり簡単な治療をする。午後からは近隣の子供達の勉強を見てやったり教本を読んで過ごしたり、日が暮れば祈りを捧げ、賑やかだがただひたすら穏やかに日々を暮らしていた。だが。

(だと言うのにだ!)

ひょんな事から女大公、オルフェ・カーランド公と出会ってから日々の調律は狂いっぱなしだ。

『私はあなたが欲しいんだよ』

ついうっかりあの夜の底を這うような眼差しを思い出して、ボフンと火を吹きそうなほど顔を真っ赤にしたリンカーンは、慌てて頭の上で両手をバタバタと振った。

「悪霊退散悪霊退散!きえぇぇええっ!!」

時折思い出したようにふらりと茶をねだりに来る程度だったが、あの煌びやかな女大公は、産まれた時から孤児であり清貧を旨とする教会に育てられたリンカーンには充分な爆発物だった。

(道を踏みはずす前に拒絶せねば!そう!断固として!!)

だが今ではこうして瞑想の時間にすら(あくまで彼の頭の中で、だが)ひょっこり顔を出してくる始末である。

「あっ!?そういえばそろそろ説法の日だ、明後日辺り、アイツが来る頃じゃないか!?」

女大公の訪問は気まぐれではあるのだが、数をこなすうちにだいたいの訪いのタイミングを読み始めた勤勉な牧師である。人は学ぶ生き物なのだ。

「茶を用意しておかないと喧しいからな……仕方ない、買いに行ってくるか」

先月の寄進により幸いまだ懐は暖かい、出処はまあ…考えない事にする。別に茶など出さなくても「牧師殿には僅かな楽しみすら許されないのかい?」などと軽口を叩かれる程度なのだが、まさか天下の大貴族に何ももてなしをしない訳にもいくまい。大枚の寄進を叩いてくれる相手であるし。

「別に……がっかりした顔が見たくないから、なんて軟弱な理由じゃないからな!」

誰にともなく怒鳴り散らし、まさか悪霊呼ばわりした相手にほだされかけているとはつゆにも思わず、頭から湯気を立てながら買い物カゴを振り回し、かの大公のおん為に自ら茶葉の買い出しに向かうリンカーンであった。




(これからも、ずっと)

4/8/2024, 11:12:51 AM