あるまじろまんじろう

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 倉澤は喋らない。
 ある陽春の穏やかな昼下がりのことだ。窓から差し込む太陽の透明なる光を背中に浴びてきらきら光る学ランの後ろ姿を呼び止めた。先生が呼んでたぞと、確かそういうことを伝言するためだったと思う。倉澤は頭を小さく動かして、制服姿が群れる廊下を早足に去っていた。これが倉澤の見始めであった。倉澤は喋らない。
 次に倉澤と顔を合わせたのは、放課後のささやかな活気が聞こえてくる図書室だ。文芸部員は自分と倉澤の二人だけしかいないらしい。
 ずっと一人で本読んでる奴。倉澤への印象であった。
 おんなじクラスだよな、よろしくな。
 ‥あ、。
 呻き声ではない。倉澤の返事だった。倉澤は笑顔をうかべてた。真顔と見間違うほどのささやかな笑顔だ。倉澤の表情を初めて見たのがその時だった。それが、ほんの少しだけ俺の心に安心をもたらした、四月下旬のこと。
 五月中旬、部員二人で放課後を過ごすうちに分かってきたことがある。
 倉澤は以外とお喋りが好きだ。特に小説のこととなるとそれは顕著で、本を語っている間、倉澤は上を向いている。かくいう俺も本好きであった。文芸部の活動内容は小説執筆だった。
 次に二つ目、倉澤は変人だ。サプリメントのみの昼飯であったり、完結したドラマを最終回から遡るように見始めだしたり。友達は他にいない。人見知りなんだ。倉澤はそうやってぼやいた。倉澤は喋らない。同じクラスの友達が言っていたのを思い出した。
 さて、六月上旬のことだ。図書室の天井に顔のようなシミを見つけた。マリー・アントワネット。歪な笑顔に見える気味の悪いシミに倉澤はそう名付けた。天井のマリー。三人目の文芸部員である。
 八月下旬、来たる二月、高校生の小説コンテストがあると知って俺たちは執筆活動に本腰をいれだした。面白い作品を書く人は、面白い人生を送っている。この言葉が頭から離れない。分かっている。焦っていた。夏休みは遊んで過ごした。小説は行き詰まっている。
 ピアスを開けた。九月上旬、倉澤は松葉杖をついて登校した。靭帯が断裂したらしい。ただ階段を降りてただけなのに。家の中に虫を見つけたような表情で倉澤は教えてくれた。
 十月三日、倉澤の家で誕生日を祝った。分かったこと三つ目。倉澤は母ちゃん似だ。ふくふくとした朗らかな笑顔を浮かべる倉澤ママは落語家だった。数字の一を模った蝋燭を倉澤は年の数だけケーキにさしていた。
 とうとうひとつ、小説を書き上げた十二月下旬。穏やかな冬の冷気に包まれて俺たちは作品を交換した。六万文字の物語はあっという間に終わった。倉澤の人生は、面白かった。
 四月上旬。コンクールで大賞を獲った。著者はやっぱり喋らない。

 


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7/22/2024, 7:11:49 AM