池上さゆり

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 これはきっと幸せな終わり方だった。お互いのことが好きで。お互いが幸せになるために選んだ別れだった。
 私はファッション雑誌の編集の仕事を辞められなかった。ずっと憧れていた部署に所属できて、残業だって喜んで引き受けていた。自分の提案が通った時は嬉しくて、周囲に自慢したくなる。いつか、編集長になって雑誌代表の顔になりたかった。
 彼は写真家になるのが夢で日本各地に飛び回っては写真を撮り続けた。だが、いくら賞を取っても写真家として認められることは難しく、常にいい写真を求めていた。
 お互い、同じ家に住んでいても休日は全く合わなくて。それでもお互いの夢を応援していたから、それが力になっていた。いつか、お互いの夢が叶ったときに結婚できればと考えていた。だけど、そう思っていたのは私だけだったようで。
 ある日、久々に二人の休日が重なった。だからといって、特別どこかに出かけたりするわけでもなく、朝からコーヒーを飲んでいた。夜だけ、久々に外食をしようという彼の提案で、付き合い始めに行ったオシャレなレストランに連れていってもらった。おいしいねと言いながら食事をしているのに、彼はどこか上の空だった。デザートが来て、食後のコーヒーが来ても彼の顔は沈んだまま。どうしたのと聞くと、何かを言いかけてはやめてを繰り返していた。
「……よう」
 やっと何か言葉を発したのは聞こえたが、何を言ったかまでは分からず聞き返す。
「俺たち別れよう」
 あぁ、やっぱり。そんなことを考えていたんだ。別れようと言われても、悲しみはなくて。しがみつく気にもなれなくて、そうだねと返事してしまった。
 すれ違い続ける日常を過ごす私たちに未来が見えなくなったのかもしれない。今のうちに別れておけば、私が自分じゃない他の人と幸せな結婚ができるのかもしれない。理由はこわくて聞けなかったけど、長年付き合ってきたからわかる。そんなとこだろうなと。
 来るときは繋いでいた手も、帰り道は繋がなかった。帰る家は一緒なのに、もう二人に未来はない。

 あれから一週間ほどして、彼が家を出て行った。手際の良さから、事前に準備していたのだと思う。一人になった家を見渡す。そこには、カメラの手入れをする彼の姿があって。眠そうな目を擦りながら洗面台に向かう姿があって。ソファで日光浴しながら昼寝する姿があった。
 あっけなく終わった恋物語に一人、残された彼の気配を感じながら抱いたクッションを濡らした。

5/18/2023, 4:08:46 PM