のねむ

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通り雨に襲われた。
普段の私は、特に雨が嫌いな方では無かった。寧ろ、好きな方だったと思う。けれど、今日はダメだった。許せなかった。好きになれなかった。

何故今日は許せないのか、と問われれば、上手く言い表せる言葉が無くて、口を閉ざしてしまうけれど、けれどダメなのだ。簡単な言葉で表せるようなものでは無いのだ。単純に私の中にある言葉が少なすぎるから、ピッタリとハマるパズルのピースの様な言葉が見つからないだけかもしれないが。拙い言葉で表す度に、これも違う、これも違う、と気持ちの悪い違和感に襲われる。だから口を閉ざすしか無かった。
ただ譫言の様に、ダメなんだ、とそれだけを発した口は、もう最早喋るという機能を失ったようにも思えた。
だけど、そんなこと私には関係無かった。今更、自分がどうなろうとも、どうでもいいと思えたから。興味すら無いのだ。自分の体に、心に。


私は、今日ここで秋を受け入れるつもりだった。
夏に別れを告げて、秋に挨拶をして握手をして、ハグをして。そして私も秋になろうと思っていたのに、通り雨が襲いかかってきた。私騒がせな奇襲だな、と思う私の目には雨が沢山の槍や弓の矢のように見えたから、少し恐ろしくなったのか、寒さも相まって、私の体はブルブルと子犬のように震えてしまった。
雨は、周囲の音を全て飲み込んでしまう。空気も匂いも全て何もかも、飲み込んで自分色に染め上げる、支配欲の強い男みたいだと思った。その押し付けが、今日はとても迷惑だった。いつもは好きだと思える男のようなその性質は、今日は好きにはなれそうにない。今日で無ければ、私が今日秋を受け入れるつもりじゃなければ、きっと喜んでその支配欲を身に受けていただろう。槍や、弓の矢のような雨も身一つで受け入れていただろう。


「全く、タイミングの悪い雨だ。」

そう呟く私に、心の中の悪い私が「本当はホッとしている癖に」と囁いてきた。それは、そうかもしれない。私、本当は秋を受け入れたくは無いのだ。けれど、生きているからには、生きていくからには受け入れなければいけない。人間として、四季を彩る性質を持つこの日の丸の元に生まれたからには、そうしなければいけないのだ。
誰かに決められた訳では無いけれど、きっと私達はそういう性質を持って生まれたのだ。育てられたのだ。その季節の食べ物を食べ、色を纏い、花を見て、それぞれの四季に染まる。だから、仕方がない事なのだと思う。
秋‎が嫌いという訳では無い。紅葉はとても綺麗だし栗は美味しいから、好きなのだ。秋はずっと、赤やオレンジ、黄色などの暖色を纏えている気がして、心地がいいのだ。
けれど、秋は春から1番離れているから、私は寂しく思ってしまう。たったそれだけの理由で、私は上手く秋を受け入れられなかった。
馬鹿だろう、間抜けだろう。そんな事で、と思うだろう、思えばいいさ。私がどれだけ上手く物事を話しても、相手の思った感想だけで、私の価値や本心というものを決めつけられてしまうのだ。人間とはそういうものだ。
第三者が何かを思うだけで、結局私はその何かになってしまう。私を可哀想にするのも、悪い奴にするのも、良い奴にするのも、全て私では無い誰かなのだ。相手がそう思うことによって、私はそれに成りうるのだ。

話が逸れてしまった。けれども、人間とはそういうものなのだ。きっと、大なり小なりはあるのかもしれないが、そういうものなのだ。
だから、私も私が秋を受け入れられないと言ったら、そういうものだと思って欲しい。貴方がそう思えば、そういう事になるのだから。

秋を受け入れる日が、何故、今日だったのか。
それは本当に何となく、ただただ夏が終わった匂いがしたから。夏の空が秋の空に変わった気がしたから。何となく、秋を受け入れなければ、きっと春さえも受け入れられないと思ったから。だから、本当に何となく今日だったのだ。
だけれど、その今日、通り雨に襲われてしまった。
何故、今日だったのか、明確な理由が無いから、言い表せる言葉が見つからないから、許せない理由さえも上手く見つけられなくて、ただずっと雨が通り過ぎるのを待つしか無かった。

けれども、雨が通り過ぎた後は、いつも雨がそこかしこを支配しているから、秋を感じることすら出来なくて、結局私は秋を受け入れられなかった。
明日や、明後日。もしくは1週間後、私はまた秋を受け入れようとするのだろうか。今の私には何も分からないから、ただただ、秋を受けいれて、春を待てる私でありますように。そうでないと、私は季節の概念を探し続けてしまうだろうから。と、願い、思うしか無かった。







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何が書きたいのか途中から眠気で分からなくなりました。

四季がある国は、日本だけとよく言われますよね。
実際は、四季(二、三個の季節)がある所は他にも一応あるそうですが、四季を彩る行事や食べ物、植物等で、季節が変わったとはっきり分かるのは日本だけ、らしいです。
心の底から、慈しみ楽しませようとする日本人の心が現れているようで私は好きです。当たり前のようにしているけれど、案外古くから残る伝統は、近くにあるんですよね。形変われど、本質変わらず、でしょうか。
人の心はそう簡単には、変わらないんです。いい意味でも悪い意味でも。変わったように見えてもそれは、演技が上手くなっただけ、だとも思います。

私は秋を受け入れたいです。けれど、春から1番遠いから、少し躊躇してしまう。春夏秋冬(以下ループ)と、文字に起こしてみると分かりやすいのですが。夏と冬は春と隣同士なので、春の面影を探しやすいんですが、秋は、夏と冬を感じさせる。だから、受け入れられないのです。春を忘れてしまいそうだから、春を諦めてしまいそうだから。桜を、綺麗と思わなくなっていたら、彼を、忘れるかも知れない。だから、とても怖いのです。
ですが、きっと私も形変われど本質変わらず、なので今年も秋を受け入れられると思います🍁
勿論、春の桜もきっとずっと綺麗に映ると思います。季節は巡るからこそ、美しいのです。永遠とは、退屈そのもの。四季わ彩り続ける日本人からしたら、代わり映えのしない季節は、何時しか面白くも美しくもなくなると、そう思います。

なので、沢山、モンブランを食べます。

9/27/2023, 3:37:29 PM