箱庭メリィ

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前の席に座る東さんは腰まである髪の持ち主だ。
穏やかで、誰にでも優しい。髪は体を表す、なんて言葉はないが、まさにそんな感じの人だった。
本人はストレートの方が好みだそうだが、淡い栗色の緩やかなカーブを描く癖っ毛は彼女自身を表しているようで、とても似合っていた。
童話の森の中のような淡い栗色は穏やかさを、緩やかに波打つ長髪は母なる海のように誰をも受け入れる優しさを持っていた。

長い長い髪はふわふわな毛質なのにしなやかさも併せ持っていて、授業中に揺れる髪は、後ろの席の私の心をくすぐっていた。


4月の半ば。
昼休み明けの授業中。どこでくっつけてきたのか、遅咲きの桜の花びらが、東さんの髪についていた。

(珍しい。しっかりしてる東さんが、こんなのくっつけてるなんて……)

取ってあげようと手を伸ばしたところで、邪な自分の気持ちに気づいてしまった。花びらを取るついでに、髪に触れられると一瞬思ったのだ。

(我ながら気持ち悪い……)

彼女に対して、恋愛的に『好き』な気持ちはない。ただ、彼女の髪が好きなのだ。あわよくば触れてみたい。

(余計まずいっての……)

自問自答しながら、東さんの髪を見つめる。
椅子の背もたれにギリギリ触れない、まさに手が届きそうなところに花びらはまだつきっぱなしだ。

一片の花びらでさえも似合うが、これは取ってあげないとかわいそうだろう。

(これは邪な気持ちじゃない。花びらを取るだけ……)

自分に言い聞かせながら、そっと手を伸ばし、東さんの髪から花びらを取り除いた。
東さんの髪は、想像通りふわふわして滑らかだった。

「ん、なに?」

東さんが振り向いた。私は邪な気持ちではなかったのに、それまで考えていたことを見透かされたような気がして、ドギマギしながら答える。

「は、花びら、ついてたから」

指でつまんだ花びらを見せると、東さんは一瞬きょとんとしたあとはにかんで、

「ありがとう」

と言った。
その時の笑顔の可愛さったらなかった。
授業中だったからすぐに前を向いてしまったが、その時揺れた髪からはやわらかなフローラルな香りが鼻腔をくすぐった。

(あぁ、もう一度触れたい……)

この短時間で、自分の欲望と葛藤、自己嫌悪にもみくちゃにされて、私は机にバンザイするように突っ伏した。少し疲れた。
ちらりと目線だけ上げると、バンザイした指先のあと数センチ先に、彼女の髪が届きそうだった。

(届け……!触れろ……!)

塞ぎたかった願いはすぐに元気よく頭をもたげ、邪な念になった。
背伸びをするふりをして指先を懸命に伸ばす。伸ばそうとする。

(届け、もうすぐ……!)

あと三センチというところで、私の名前が呼ばれた。

「藤田ー、寝てんなー。前出てこれ解けー」
「は、はいっ」

先生に呼ばれた私は勢いよく立ち上がり、東さんの横を通って黒板に向かう。
通り過ぎざま、ふわりとフローラルな香りがした。

(残念、もう少しでもう一回触れたのに)

黒板の前で問題を解きながら、邪な私の願いは隠れもせずに文句を言っていた。


/7/10『届いて……』

7/10/2025, 3:38:41 AM