芽吹のとき
※すいません。暗いです。
ずっと私が思ってきたことと、
その芽吹のとき。
「あんたが男だったらよかったのに」
学生時代何度か言われた言葉は、思いの外ぐさりと刺さっていた。私は、女なのか。私は女という性別の前に、人間なのに。
性自認とはいつからできるのだろうか。
私は他の人よりも、自分が女であるという認識が圧倒的に遅れていた。もっと細かく言えば、自分が女である、ということを認めたくなかった。昨今、リベラル寄りな要素として話題に取り上げられている、いわゆる「LGBT」というものに該当するのかと問われれば少し異なる気がする。そういう類の性自認ではなく、この世に女として生きていくことを放棄したくなったことが何度かあるからだ。
それは、私の場合では、特段性差別を受けたとか、被害を受けたわけじゃない。一般論で落とし込むようなわかりやすい広範な部分での損傷や嫌悪感を抱いたのではなくて、これはあくまで一個人の話だ。
私は2歳年上の兄がいる。兄は、「男」だ。
たった、2年違いで生まれてきた兄と私とでは両親から許容されることが異なっていた。
たとえば、部活動。
中学の時、兄同様運動部を志望していた私は親に許可証を貰いに行った。結果は、部活に入部することを却下された。理由は、女の子なのに、危ないから。あなたは、生きていくのが大変だから勉強に専念しなさい、とのことだった。
反応したところで聞く耳を持たない両親に抵抗する術もなく、日々を過ごしていたら、また「女」としての弊害が生まれた。
友人と遊びに行くことができない。
「あなたは、女の子だからあぶない」
「女の子だから、そんな格好しちゃいけない」
時間や服装、友人関係、何もかもが制限された。男ではなく、女だから、というそれ以上でもそれ以下でもないたったそれだけの理由だった。
私は色白に生まれた。色白は七難隠すという言葉もあるがそれは逆効果にもなる。私は同時に体毛が濃かった。
白い肌に濃い体毛は目立つ。当時は脱毛なんて学生がやるようなものではなく、私は毎日自分の体毛を見るたびに小さな絶望感を感じていた。
さらに、私は他の人よりもはるかに低い声で産まれてきた。幼稚園時代のホームビデオには、1人明らかに園児にしては低い声がいるな、と思ったら自分だった。
私は女でありながら、他の人が悩まぬところで女であることに疑問を持ち、そして両親からはだれよりも女であることを意識させられていた。
それがとても苦しかった。
高校に進学した時、私はなるべく自分が女であることを忘れようと誓った。今まで両親に制限された分、反抗し、女というよりも自分を生きようと思った。
そうなればなるほど、不思議と同性に好意を抱かれるようになり、告白されたり、冒頭の言葉をよくもらうよになった。実際、彼女ができて、幸せな恋愛をしたこともある。でも、いつも自分が好きになる相手は男性だった。
そして、自分が女であることを認めようとする時も、認めないとする時も、いつも自分が置いていかれたような感覚があった。
私の両親は、古い人間であるから、仕方がない部分はありつつも、私が女であることを理由に言う言葉は私の心を蝕んで行った。
この仕事に就かなければ、お前はその性を利用するしかない。
もっと、女らしくしなければ、お前に残されてる道はない。
私の体につく、おもたい二つの脂肪の塊や、中へ続く空洞は、一体なんのためにあるのだろう。
私はどうして女として産まれてきたのだろう。
脱毛しても、化粧をしても、かわいい服を着ても、私は心がいつも空っぽで、幸せじゃなかった。世間が私を女であるという認識をする分だけ、私はなんだかとても辛く、また女であると他者から承認されるだけひどく安堵感があった。
私の身体は、私の人生を負の道へと運ぶのだろうか。
私は、女である前に、私であるのに。
なんのために生まれてきたのか、それを哲学的な話などと揶揄して馬鹿にできるのは、今ある常識や慣習に疑問を抱いたことがないからだ。
私がこの体で生まれてきたのは、決して悪いことじゃない。悪いことじゃ、ないんだ。
好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いというのは、女であるからでも男であるからでもなく、
私が自分の人生を生きるために必要なことだと気がついたのは、随分と経ってから。
長くくらい冬が明けたとき、そのままでいいと認めた度合いだけ、新しい季節が私を受け入れていった。
年度の始まり、
生ぬるい気温、
柔らかな太陽の温もりと、
生命が動き出す、春。
大嫌いで憂鬱な春が好きになったのは、
私が春を好きになってよいと、私に許すことができたから。
なんか書きながら苦しくて泣いてもーた。
春って、私一番嫌いな季節でした。
始まってしまうのが憂鬱で。
みんな、自分で自分のこと責めないで、って、
春に、いつも願うばかりです。
3/1/2025, 3:01:26 PM