いろ

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【真夜中】

 仕事を終えた時にはもう、終電間際の時刻だった。へとへとの体を引きずってどうにか電車に飛び乗り、自宅への帰路につく。アイツの長期出張からの帰りくらい出迎えてやりたかったが、こちらも繁忙期でそうも言っていられなかった。
 互いに仕事があって、互いより優先するものがある。その前提で一緒にいるのだから、不服に思うのは筋違いだ。わかってはいるのに心の片隅でもっとお互い大切にし合えたらなんて思ってしまうのはきっと、疲労がピークに達しているがゆえの思考のバグだった。
 アパートの扉に鍵を差し込む。もうアイツは寝ているだろうからなるべく静かに。音を殺しながら開いたドアの先、あまりの明るさに一瞬目が眩んだ。
「あ、おかえり。お疲れ様」
 近隣の迷惑にならないようにか極限まで落とされたテレビの音。そのせっかくの気遣いをぶち壊すような、あまりにいつも通りの声量が鼓膜を震わせた。
「ただいま……?」
 煌々と輝くリビングの照明に照らされた、久しぶりに見る姿に幾度か目を瞬かせる。と、ソイツは呆れたように俺を手招きした。それにハッとして、慌てて開けっ放しになっていたドアを閉めて部屋へと上がる。
「おまえ、何でこんな時間に起きてんの」
 規則正しい生活を好むコイツは、普段でも23時にはベッドに入る。出張帰りで疲れているならなおさら、もっと早くに寝入ってしまうのが常だろうに。
「それより、久しぶりの恋人におかえりは言ってくれないの?」
「……おかえり」
 揶揄いが半分に不満が半分といった声色での催促に、驚愕に固まった頭の片隅からどうにかそれだけは絞り出した。くすくすと楽しそうな笑い声を漏らしたソイツは、悪戯っぽく微笑んで俺へと顔を寄せる。
「ギリギリ間に合ったね。誕生日おめでとう」
 そっと額に触れた優しいキス。ちらりと写った視界の片隅で、テレビの左上に表示された時計が今日の終わりを告げた。

5/17/2023, 12:05:21 PM