はた織

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 距離はおよそ5メートルだった。あの頃から眼鏡をかけていたので視力が悪かったが、相手の微笑みを間近で見たような記憶が残っている。
 小学生の頃、いつだったか。縁側でシャボン玉を吹いて遊んでいた。一人でも楽しかったから、時間も思考も現実も何もかも忘れて、ストローで石鹸液の泡を膨らませて空に飛ばした。
 自宅の斜め向かいにある隣の家では、何やら大勢の人が集まっていた。荷物をトラックに運んでいるので、引越しの作業をしているらしい。かと言って、その住人全員ではなく、玄関先に立っている女性が旅立つらしい。別に隣の家の者と挨拶さえもした覚えがないので、全部憶測にすぎない。ただ目の前の一連の流れを見て、そう思っただけだ。
 その時の私は、忙しなく荷物を運ぶ人々を眺めて、何だがお祭りみたいだと一人で盛り上がった。彼らに届くように、シャボン玉をぷうぷうと吹きかけた。シャボン玉がたくさん出れば出るほど、人々の影が虹色の玉に反射して活気が湧いたように見える。私は頬を膨らませて、もっともっとシャボン玉を吹いた。
 ようやく、シャボン玉が女性の目に入ったのだろう。彼女は私の姿を認めて笑った。子どもの幼い遊びを慈愛に満ちた瞳で見守っている。私は彼女と視線を交わして、行ってらっしゃいと挨拶代わりにまたシャボン玉を吹いた。
 今思えば、あの女性の立場から見たら、私のシャボン玉は門出を祝った花吹雪のようなものだったのだろう。
 何故か、彼女の視界から見たシャボン玉の景色が脳裏に映る。あどけないと言えば聞こえがいい。やけに馬鹿な顔をした子どもの私が、無邪気にストローを咥えて泡をぷかぷかと吹かしている。憎たらしいぐらい幸せそうだ。
               (250708 あの日の景色)

7/8/2025, 12:47:19 PM