103.『秘密の標本』『行かないでと、願ったのに』『キンモクセイ』
友人である沙都子の家に遊びに行くと、私の顔を見るなり沙都子が言った。
「百合子、あなた専用のトイレが出来たわ」
私は思わず耳を疑った。
全く意味が分からず、沙都子を二度見した。
沙都子の家はお金持ちだ。
トイレの一つや二つ、造作もなく作れるだろう。
家も相応に大きいためトイレが数か所もあるし、私も普段はそこを使わせてもらっている。
だからこそ分からない。
なんで私専用のトイレが必要なのか?
他の人からクレームが来たのかとも思ったが、多分違う。
最低限のマナーとして綺麗に使っているし、それで注意を受けたこともない。
とにかく何も心当たりがなかった。
「何を不思議そうな顔をしているのよ。
あなた、先週来た時に『部屋の隣にトイレがあれば便利なんだけどな~』って言ったじゃない!」
「いや、それは冗談だよ!
本当に作るとは思わないじゃんか!」
まさかあの軽口が現実のものになろうとは……
気が遠くなりそうだ。
沙都子の前じゃ、おちおち冗談も言えない。
「とにかく!
せっかく作ったんだから使ってちょうだい」
「はあ」
実際必要ないけど、作ってもらっといて『いらない』とも言えない。
私は釈然としない思いを抱きながら、トイレのドアを開けた。
ドアを開けた瞬間、ふわりとキンモクセイの甘い香りが鼻をくすぐる。
そこは庶民的なんだなと感心していると、すぐに間違いに気づかされた。
トイレの中がとんでもなく広かったからだ。
一人用にしては無駄にデカい広さで、なんと壁を隔てることなく、便座と同じ空間に庭がある。
しかも不必要なほど立派な庭園で、そこには立派なキンモクセイが植えられていた。
いい香りだと思ったが、まさか現物だったとは……
まさか芳香剤代わりじゃないよね?
庭だけじゃない。
トイレの壁に、これでもかと多くの絵画が並べられていた。
よく分からないけど、多分高価なものだ。
でも芸術に興味が無いので不要な代物である。
ていうか、こんな圧の中で用なんて足せるのか?
絵の中の人、みんなこっちを見ているぞ……
そして便座の横には透明のディスプレイが置いてあった。
『秘密の標本』と書かれたプレートがあり、中には綺麗な蝶々が飾られている。
『綺麗だけどどこら辺が秘密?』と思って見ていると、隅の方に『中身は日替わり、当日まで秘密』と書かれてあった。
日替わりの標本?
お金持ちの考えることは、本当に分からない……
そのほかも気になる部分を見て、トイレの中をじっくり見て回るという、人生で最初で最後の経験をした。
『常識よ、どこにも行かないで』と、願っていたのに、見る物全てが狂気の領域に足を踏み入れていた。
お金持ちの普通がこれなのか、それとも沙都子の感覚がおかしいだけなのか……
ぜひとも後者であって欲しいと思いつつ、私はトイレを後にした。
外では、沙都子が『どーよ』とドヤ顔で私を待ち構えていた。
それを見た私は、感謝の言葉を述べるべきか、それともあの狂気にツッコミをいれるべきか、本気で悩んだ。
色々考えた末、最終的に私は自分の心に従うことにした。
「最初からやり直せ」
11/9/2025, 2:44:04 AM