坊主

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自転車に乗って

 「ダメだったなあ」
 コンクール会場から少し離れた橋にもたれかかり、空を見ていた。速い動きをみせる雲からわかるように風の強い日だった。ヴァイオリンケースに挟む2位の賞状がパタパタと揺れる。
 あと少しすれば賞状は風に飛ばされるだろう。
 それでも良かった。
「あ...いた」
「あ」
 自転車に乗って僕の前に止まるのは村田ひな。
 コンクールで1位を取った天才ヴァイオリニストさんだ。
 それにしてもなぜ自転車なのか? 彼女は同じアパートの隣人だが、ここからアパートまで車で40分の距離がある。
「どうして自転車なんだ?」
「体力作り」
 やはり彼女はストイックだ。結果は必然なのだ。
「そんなことどうでもいい。どうして逃げたの」
 気づくと彼女の目は僕に怒りをぶつけていた。
 怒られることなどしていない。なんなら逃げてもいない。
 だから少し怒りが伝播した。
「逃げてない。真剣に戦って負けた。何を怒ってるのかさっぱりわからないね」
「ふざけないで。あなたはいつまで経っても…!!」
「そう。いつまで経っても2位。君の下。シルバーコレクターとはまさに僕のことさ」
「違う。わかってない。何も!」
 彼女は地面を強く蹴って自転車を走らせる。
 その方角はアパートとは真反対。
 そういえば彼女はアパートが家ではないのだ。ただ練習をするためアパートに来ていただけ。
「今夜は静かに眠れそうかな」
 彼女の顔が頭を過ぎる。
 コンクールで見せた笑顔、僕に向ける鋭い眼差し。わかってないと叱る顔。その全てがなぜか頭から離れない。彼女と言葉を交わすことなんて、今までほとんどなかったのに。
 彼女が僕に関われば関わるほど、ふつふつと腹の底で何かがうごめくのを感じた。
「勝ちたかった」
 僕はヴァイオリンと賞状を持って早足でその場を離れる。
 無意識に出た言葉を忘れたかった。
 自宅へ帰る。
 彼女とは反対の方向へ僕は歩き出した。

8/14/2024, 11:30:56 AM