ぼくのポラリス
あ――――おほしさまだ。
ふと見上げた窓の外に、一つの星を見つけた。
暗い世界にきらきら輝くおほしさまは、どんな時でもぼくの心に光を与えてくれていた。空腹で横たわった虚ろな夜も、誰かに会いたい寂しい夜も、温かいミルクティーを受け取った嬉しい夜も。
一つ、いつでも動かない星があった。ぼくはそれを目印にして、あっちへ行ったりこっちへ戻ったり、ふらふら世界を渡り歩いた。ぼくは孤児というやつだったんだと思う。帰る家がなくてあちこち彷徨った。
知らない場所で迷ったときもあの星がぼくを見つけてくれた。
ぼくのルーツなんだと思う。ぼくは星に繋がれて生きてきた。あの人がぼくの手を掴んでくれたのも煌めく星が降る夜だったから、きっとそうだ。
星は好き。眩しくて、輝かしくて、あたたかい。
「何見てんだ?」
優しい声が真上から降ってくる。見上げてぐるりと後ろを向くと、さっき思い描いていた人物が口角を上げてぼくを見下ろしていた。頭の中でぱっと電球がつくようなイメージがする。
「あれを見てるんだよ」と視線と指で示した。
「どれどれぇ?」
「一緒に見ようよ」という意味を込めてもう一度顔を見上げて、ぼくは目を見開いて固まってしまった。
「星か」
あなたはグシャリと眇めながら、心底嫌そうな声で吐き捨てる。
「……ああ、お前に怒ってるんじゃない。ちょっと嫌な事思い出しちまってな」
ぼくの体が強張ったことに気が付いたのか「なんてことない話さ」と笑った。
「昔、腹減って死にかけて、あーもうこりゃお手上げかなってときに眺めてよ。なんもできねぇし、ぼんやり空を見てたら星が一つ流れてった。アレが流星ってやつかと思ったよ。そしたらどっかで読んだ願い星の事がふと頭を過ぎったんだ。お星サマに願い事をすると叶うって話だ。そんで、藁にも縋る思いで願ってみたのさ。『腹を満たしてくれ』って」
そう言ってフンと鼻を鳴らし、睨みつけていた星から目を逸らした。
「だはは! 胃は膨れなかったけど腹は膨らまされたぜ、最悪の方法でな」
あなたは大きく口を開けて笑った。左手をひらひら動かしてみせてパチンと指を鳴らす。一変して今度は大変愉快そうだ。少しの違和感を覚えながらも、笑っている、ということに安堵しながら、質問した。
「どんな方法かって、そりゃもちろん…………あー…………すまん、お前に話す事じゃ、なかったよな。お前は知らなくていいんだ、良い子は忘れてくれ」
言われた通り「忘れる」と頷くと頭を撫でられる。ぼくの中に生まれた嬉しいという感情が、さっきの違和感を丸呑みしていった。ぼくは今、嬉しい。
垂れてきた髪が頬にかかってくすぐったい。
わしゃわしゃぼくの頭を撫でるあなたの笑顔は、いつもの貼り付けた笑みと違うもののように見える。いつだって笑っていてどれでも笑顔であることに変わりはないから、何が違うか具体的には言い表せないけれど、このときの笑顔を見ると体中がじんわりあたたかくなるのだ。柔らかくてあたたかくて、優しい心地がする。そんな笑顔をしている。
もっともっととズボンの膝辺りを掴んで強請れば「しゃーねーなぁ」と言いながらぼくの真後に腰を下ろし、ぼくを抱え込むようにして頭を撫で回したり時々くすぐって遊んでくれた。
ひとしきり撫で終わったのか、ため息が耳にかかった。もう終わりなのかと俯いてしまった顔を覗き込んでみると、ぼうっとした真っ黒い目が、さっきまでぼくを撫でてくれていた手をぼんやり見詰めていた。
手がどうかしたのかと握ってみるとハッと浅く息を吸う音が聞こえると同時に顔が持ち上げられた。大きく開かれた目と目が合ったがすぐさまゆらりと細められ、またどこか遠い所へ視線を移されてしまった。それがなんだか寂しくて、強く抱き着く。この小さな体では喉元にしがみつくので精一杯だった。
静かな空間にあなたの息遣いだけが聞こえてくる。そっと喉に耳を当てた。微かな振動を感じ取ったぼくは、話を聞こうと顔を上げようとして、やめた。
「星なんかに願うな。願ったってなんにもなりゃしない」
教えるように、言い聞かせるように呟かれる。聞き終えてから頭を上げて「わかった、わかった」と頷いて、また喉に耳を押し当てた。
言葉になる僅か先に喉が振動して、声がここで作られていることをたった今発見した。ぼくの心臓が大発見のわくわくを伝えるように忙しなく動き始める。
すごい、すごい、大好きなあなたの声はここから生まれているんだ!
喉が振動している、あなたがそこにいるんだ、あなたの声はここで作られているんだ。この温かさと振動をずっと感じていたいと思う、それくらい好きだと思った。
「ポラリスなんざ目指したって、目的地になんて辿り着けねぇのと同じ、星に祈るだけ滑稽だ」
喉のことに夢中になって話のをほとんどを聞いていなかった。ふとあなたが静かになったことが気になって喉元から頭を剥がして顔を見ると、眠っているのか、目蓋が下ろされてしまっていた。寂しくなって「ポラリスってなあに」とまた質問する。
「えっとなあ、ポラリスは北極星のことで、あー、こぐま座の……二等星だっけか? 眩しいわりに一等星じゃないんだとよ。で、アレはずっと同じ位置にあるのさ。だから方角が分かっていい道標になると言われている……が、まあ関係ない話だ!」
パッと開かれた目は生き生きと輝き出す。
「方角なんてどうでもいい。いいか、人生において大事なのは方角なんかじゃない、ユーモアと笑顔さ! 目的地も帰る場所もなくたって構わない! 俺たちゃ自由気まま、好きなように好きなままどこへでも行けるんだから。なぁ?」
うん、うん、頷く。
ぴかぴか きらきら
おほしさまみたい。だけどあなたはおほしさまじゃなくて普通の人間。それは、わかってる、けど。
眩しいあなた、ポラリスみたいだ。
異臭がする。
ねえ、誰なの、星の輝きを奪った下衆野郎。
1時間前、20時、あなたは寝ていたから、一人で街へ行った。帰ってきたらいつも聞こえるはずの「おかえり」の声がしなかった。代わりにぺしゃんこに潰れた靴と、焦げたような臭いと、鼻を刺す饐えた臭いがお出迎えしてくれた。
動けないぼくを急かすように心臓が矢継ぎ早にノックしてくる。目の前がぐる、ぐる、ペロペロキャンディの模様みたいに回って、うねる。そういえば、あの人がペロペロキャンディをくれたのはいつのことだったかな。こんなこと思い出してる暇はないはずなのに、思考がどんどん後ろに引っ張られていって、ああ、そうだ、あの時――――
――こんの愚図、ぶったたくぞ!!
――頓馬が! そっちじゃないだろう!
――ドアホ、やるならこうだ。
そう言ってあの人は眉を釣り上げたり焦った顔したりしてボコンと頭に拳骨を食らわせてぼくを叱った。その後は呆れた顔してから「仕方ねぇな」と笑って教えてくれた。
教えられた通りにやろうとしてもできずぼくが落ち込んでいた時、ペロペロキャンディをくれた。甘くてとっても美味しくて、あなたにも食べてもらいたくて「はんぶんこ」と言って差し出したら「俺はいいよ」と言って食べてくれなかった。あなたがジッとペロペロキャンディを見詰めていたから、思わずぼくも見詰めたら「早く食べろ」って言われたんだった。
ぼくはキャンディを受け取った時、夜空を見上げたいつかの日のように、胸の奥にきらきらした何かが生まれたことを、覚えてる。
――ああいう半端もんが一番転がしやすいんだ。見てろ、今に目に物見せてやる。
――ホイホイ口車に乗せられやがって馬鹿共が! ぼんくらに生きてっからだらぁ!
悪い顔して企んで、成功したら鼻で笑ってこれでもかと楽しそうに腹から笑う。それから「今日のメシはうまいぞぉ」と鼻歌を聞かせてくれた。
あなたの顔を見て、きらきら、胸の奥で何かが生まれた。
――あいつらヒッデェよなあ、こーんなに頑張ってるってのにゴミクズ呼ばわりだとよ。ありゃないぜ! でっぷり肥えてる奴らは傲慢でイイご身分だよなあ。
――クソッ、あんなもんで腹なんか膨れやしねぇってのに、お綺麗事並べやがって。
口を尖らせ吐き捨てて黙り込む。「あんなやつらどうとでもできるよ」と声を掛ければ「ははは! お前いいこと言うな! 確かに熨斗付けて返してやるくらいが丁度いいだろうよ!」と笑ってくれた。
きらきら、きっとこれはおほしさまなんだ。
――良くできてる! 天才だなあ!
――それは妙案だ、お前ってやつぁは最高だよ
――なんだ本当に調子がいいじゃないか、すごいぞ〜!
髪をわしゃわしゃかき混ぜながら褒めてくれた。それから微笑んで「いい子だ」と囁きながらぼさぼさになった髪を指で梳いてくれて「ご褒美だ」ってぼくの好きなミルクティーを淹れてくれた。
きら、きら、眩しい光、ぼくのもとまで。
――だめだ、頼む、言うことをきいてくれ。
――お前、すぐ傷つけられちまう、守ってやらねぇと、離れないでくれ、たのむから、手の届く範囲に。
――お前のためならなんだってする、なんにだってなれる、なんだって捨てられる、だから……。
怯えた顔をして震える指で服の裾を掴んでくる。どうすれば良いのかわからないから、何度もうんうん頷いて手を取って、ぎゅっと握った。そうしたら「大丈夫だからな」と力なく笑って抱き締めて、包み込んでくれた。
きらきらおほしさま。
怒ったり、悪い顔したり、拗ねたり、怯えたり、コロコロ表情が変わる人。必ず笑いかけてくれた人。
なんだってできた、どこへだって行けると思った。なんにも怖いものなんてないって。小さなこの手を掴んで温めてくれた、道標となるあなたがいるなら大丈夫だって。
大きくなりたかった。あなたと肩を並べられるくらいに、あなたと同じ目線になれるくらいに、あなたの手を包み込めるくらいに、もっと大きく、もっと。
ゴミ溜めで生きてたって、泥水啜って生きてたって、這いつくばって生きてたって、人を欺いて生きてたって、殴られて傷だらけになってたって、怯えて嗚咽してたって、ぼくはそれが情けないことだなんて思わなかった。
ある人がぼくに言った。「君のいうその人は不器用なんだろう、君は雑な扱いを受けているんだね、可哀想に」と。不器用で雑だなんて形容できる人にはきっと一生わからないんだ。
だから早く、早く。
ぼくのポラリス、唯一の星。
ポラリスを目指して、扉を開けて、あなたが笑いかけてくれるから。そのはずだから。
だから急いで、動いて、ぼくの足。
歩いて、歩いて、歩いた先。異臭がする部屋、荒らされた家具、やけに重苦しく感じる暗闇、力なく横たわるあなた、乱れた髪が、目に飛び込んでくる。
全身の肉をスプーンでえぐられているみたいだった。心臓が熱い、目が飛び出してしまいそうなほど熱い、痛い、喘鳴が聞こえる、これは誰の息? ぼく? ぼくの呼吸器官がまともに機能していない、目が変だ、目の前が赤い、赤い!
ねえ誰なの、星の輝きを奪った下衆野郎。
窓の向こう、星が一つまたたいている。
最悪な方法で腹を膨らまされたという話が、今、頭を過ぎった。
「あ゙ぁ、あー……ゴホッゴホッ!…………あんのクソが! 今度見つけたら!! ……あ?」
盛大に舌打ちをしてのそのそ起き上がるあなたに駆け寄るでもなく、声を掛けるでもなく、ただ立ち竦んでしまった。「ごぎゅ」と唾液を飲み込むのを失敗した音が喉から鳴った。
「……たく、はは、喉乾いてんのか? おかえり」
髪がぼさぼさで声もがさがさ、いくつかのアザと、ところどころ爛れた皮膚が見える。それ以外も、目も当てられないような状態だった。普段ならきっと呆れた優しい笑みのはずが、今は退廃的に見えてしまった。
あなたの体に何か悪いことが起きてしまっていたらどうしよう、皮膚をそのままにしたら膿んでしまう、どうすれば。声が嗄れてしまったままだったらどうしよう、喉が潰れてしまっていたらどうしよう、もう二度と声が聞けなくなってしまったら。酷い有様だとしか、言いようが。
「ごめ、なさ……」
ぼくは何に謝りたいのかもわからないまま「ごめんなさい」と口からこぼしていた。喉がかさかさになって言葉が上手く音になってくれない。体の内側で砂埃が舞っている。
「そうだよなぁ、こんな夜遅く出歩いたら危ないだろう」
あなたはにっこりと笑った。
あ――――――そういうことじゃ、ないのに。
子供扱いをされた。窘められたのだ。そして話を逸らされた。何があったのか教えてもくれない。
伸ばされた手は本来頭を撫でてくれるはずだったのだろうに、こちらに届くことなく下ろされてしまった。それどころかあなたは目すら伏せてしまった。
ゆらりと立ち上がったかと思えばその場で佇み、虚ろな眼差しで床を見詰め始める。
カタカタと風で窓が揺れている。ヒュウ、ヒュウ、鳴っているのは隙間風か、あなたの喉か。
「ゴホッゴホッ」
咳を腕で受け止めながら一歩一歩と足を出し、後ろ足になった方を引きずりながら、どうやらキッチンの方へ向かおうとしているみたいだった。ギィ、ギィ、歩くたび床が悲鳴を上げている。
ぼくは一歩も動かずその場で突っ立ったまま、ただ息を詰める。
次第に湯を沸かす音、棚を開け閉める音、陶器がぶつかる音が聞こえてきたが、ただ耳へ入っては通り抜けていくだけだった。
「Ta-Da! ほら見ろ、今日は贅沢にホットミルクティーだ、お前好きだろ?」
笑って差し出されたマグを、ぼくは正しく受け取るべきなのに、腕がこれっぽっちも言うことを聞かなかった。
ぼた、ぼた、と床から音が聞こえる。
「なんだいらないのか? じゃあ先に貰うぞ」
あなたは何度もまばたきをしながらズズズとミルクティーを啜り始めた。ボタボタ、とまた床から音がした。ボタボタ、ズズズ、ボタボタ、ズズズ。
床に散った星の成れの果てを、視線を下げて見詰めた。見詰めることしかできなかった。
「……うん、うん? なあこれ、前に飲んだのと同じ茶葉とミルクなのに、な〜んか味が違うんだよなあ」
悩んだ顔を作って首を傾げながら、もう一度マグをこちらに寄越してくる。ボタボタ、という音が耳に入る。それに動かされるように、そっとマグを受け取って、一口飲んだ。
足りないものはぼくにでもすぐにわかった。あなたはわからないふりをしてぼくに飲ませたんだと、すぐに気付いた。こんな子供騙しが通用すると、ぼくはあなたに思われているのか。
「……おさとう」
「それだ! お前はホント賢いなあ。どれくらい入れたい? 好きなだけ入れてくれよ」
パチン、と指が鳴らされる。引きずられるように顔を上げて、また、息を詰めた。
あなたが笑っていた。
頭の中か、胸の奥か、指先か、目か、ぱちん、ぱちん、ちかちか、きら、きら、何かが煌めき始める。
ギィ、ぎぃ、床を軋ませながら二人でキッチンへ向かう。自分でおさとうを入れる気にはなれなかった。
「なに? どんだけでもいいって……じゃあ勝手に入れるぞ?」
シュガーポットから掬い上げられた真っ白な粉が、マグの中へ降り注がれて溶けていく。
きら、きら、煌めくおさとう。
「できた! これだよこれ、味もいい感じだ」
渡されたマグを震える両手で受け取って、ごくごく飲んだ。ひたすら飲んだ。目に見えてマグが震えているのに、そのことに対して何も言われない。きっとあなたもわかっているのだ、わかっているからわざと触れないんだ。
「どうだ美味いか?」
うん、うん、頷いて、顔を見上げた。
「そっか」
目があった瞬間、あなたの笑顔がグシャリと歪んだ。
ボタ、ぼた、流星が落ちる音がする。
「なんだ、これがそんなに気に入ったか」
きら、きら、星屑が輝く。
あなたが 。
ごめんなさい、ぼく。
「………………ちがう……ちがうよな。違うんだよな、ごめんな」
額に五本の指先を押し当てて、不安定な声でそう言うあなた。そのまま崩れ落ちてしまいそうだったから慌ててワークトップにマグを置いた。
手を伸ばして体を支えようとしたが、その手を取られてギュッと抱き締められた。
「不安にさせちまって」
――――あ。
きら、きら、胸の奥で何かが煌めいている。
あなたはずっと、ずっと、眩しいだけ。
あなたに抱き締められてこんなにも胸が冷たくなるなんてこと、今まで一度だってなかった。
風の強い日に窓を開けた、いつかの日を思い出した。勢い良く入り込んで部屋中の空気を掻き回していったあの風が、今、ぼくの心臓と肺辺りを掻き回して、背中側に吹き抜けていく。
「大丈夫、大丈夫だ。すぐに良くなるから」
きら、きら、きらりきら
星が溢れていく。
今にも爆ぜてしまいそうだ。
不安だから泣いてるんじゃない、ちがうよ、ちがうんだよ、あなたがあんまり眩しいから、だから。そんなあなたすら、眩しいから。
ぼくのポラリス、唯一の星 こんなにも きら、きら
ぼくのポラリス
「は?」
ぼくを抱き締めていた腕がびょんと伸びて、代わりに両肩を掴まれた。あなたは目を白黒させて随分困惑しているみたいだった。
「え、あ? なんだって?」
「あ」
言うつもりなんてなかった、うっかり口が滑ってしまっていた。
せっかくだから、全部言ってしまいたい。
「あなたは、ぼくのポラリス。ずっときらきらしてて、導いてくれて、道標になってくれるのがポラリスなんだよね。だから、ぼくのポラリスは、あなたなんだよ。どんな時でもきらきらしてる、あなたが眩しいなって、思ってた」
「…………そんなことずっと思ってたのか」
うん、と頷く。
「さっきは何考えてた」
「ぼくは不安になってるわけじゃなくて、あなたがとってもとっても眩しくて、胸の辺りがきらきらして」
「それ、本音じゃないだろうな」
首を左右に振ると今度は肩を揺さぶられる。
「いや、いやまて、そんなまさか! 何トンチキなこと言ってんだ。とうとう頭可笑しくなったのか? それどう考えても趣味悪いだろ、なんでよりにもよってっ……俺は、俺は……!そんなもんになんてなれねぇよ!!」
「だってぼくの手を掴んでくれた」
ギュッと手に力が込められて、肩を強く掴まれる。あなたは唇を強く噛み締めて、怯えているように見えた。それでも、言いきって、伝えきってしまいたい。
「知らないことを教えてくれた、頭だって撫でてくれた、ギュッて抱き締めてくれた、どんなときも笑いかけてくれた。ぼくのこと見捨てたりなんてしなかった、ずっと傍にいてくれた。ずっと、ずっと、隣を歩いてくれた。あなたが教えてくれた、ポラリスと同じ、道標」
あなたの顔がどんどん曇っていって、グチャッと顔が歪む。
「ぼくの手を掴んでくれた。ポラリスは、二等星だって、あんなに頼りになるのに一等星じゃないって、言っていたけど、でも、ぼく、見たんだ。あの星は、こぐま座で一番明るいんだ。だから、あの星はぼくを見つけてくれた。ぼくはどんな夜でも、あの星を見上げてた。あの星がいてくれた。ぼくの、ルーツ。ぼくのことを生かして繋いでくれた。あの日、あなたと出会った日も、ポラリスを追いかけてた。ら、あなたにぶつかっちゃって……流れ星が見えたから、つい、追いかけちゃって、それで、道に迷って……えっと……だから、あなたが、あの日、ぼくの手を掴んでくれた。ぼくにとって眩しいポラリスは、あなた、同じ、ぼくにとっていちばんのほし。でも、でもね、ぼく、あなたは、おほしさまじゃなくて、人だから、だからよかったって、思う。おほしさまより、ずっといい。ずっと、あったかい。でも、どうしても、あなたは、ポラリスだって、思って」
こんなに喋ったことは生まれて初めてだった。上手く言葉にできないけれど、それでもあなたに伝えたかった。訥々語ったぼくの思いが、きちんとあなたに届いているだろうか。
「そんなにロマンチストだったなんて、今まで気づかなかったなぁ」
「ろまんちすと、嫌い?」
そう問うと、あなたはフンと鼻から息を出して、首を傾げた。皮肉げな顔を作ってみては、やっぱり愛おしそうに微笑んでしまっている。
ぼくは知ってる、あなたがぼくのことを大事に思ってること。
「俺は、星なんざ、嫌いだけどな」
歪に持ち上げられた唇は戦慄き、繰り返されるまばたきが涙をボタ、ボタ、と床へ落としていた。
「願いなんて、叶えられねぇってんのに、たった…………たったそんだけの理由で、ポラリス呼ばわりなんざされちゃ、おれぁ一体、はっ、はは、なんっ、なんだったんだって、なっちまうだろうが」
きらきら、涙が煌めく。
流星を滑らせるそのかんばせが ……? あなたの頬に、手を、伸ばしたい。
「こんな姿も眩しいって?」
うん、と一つ頷く。
「ホント趣味ワリィなぁ……こういうの『情けない』とか『惨め』って言うんだ、覚えとけよ」
「誰からも大事にされなかったぼくのこと、惨めだって思う?」
自嘲気味に呟かれた言葉にそう問い返すと、あなたは左に頭をかたげ、眉と目をきゅっと寄せて、口角を上げた。ボタリ、と右目から涙が零れ落ちていく。あなたのそんな表情も見ていたいと思う。けれどできれば、どうか笑っていてほしい。
「惨めだよ。俺も、お前も」
「ならよかった」と微笑むとあなたは「そっか」と言ってぼくの頭を撫でた。
しばらく黙って撫でられていたが、その手が急にピタリと止まってしまった。どうしたのだろうと見上げようとした瞬間「クション!」という大きなくしゃみが聞こえて肩が跳ねる。風邪を引いてしまってはいけないと、慌てて顔色を窺った。
「冷えちまったかな」
ならばミルクティーをと思いマグに触れるがこちらもすっかり冷え切っていた。
「今日のところはアイスティーで我慢だな」
でも……と渋ると、あなたはふっと柔らかく鼻で笑って立ち上がった。優しい声が真上から降ってくる。
「布団入ればあったかくならぁ。湯たんぽ代わりになってくれよ」
そう言ってあなたは手を握って引いてくれた。
あの星が僕を見つけてくれたように、あなたはいつだってぼくを掴んでくれるのだ。
いつか湯たんぽ代わりじゃなく、温められるほど、抱き締められるくらいに、大きくなるんだ。抱き締めてもらうんじゃなくて、手を引いてもらうんじゃなくて、ぼくが、いつか手を伸ばすんだ。
「とその前に、これ飲んどかねぇと」
クイッとマグを傾けて飲んでいるのを見るに、どうやら残り僅かなようだ。
「うん、冷えてもなかなかイケるな。ほら」
頷いて、両手でマグをしっかり受け取った。一口分の量がちゃぷりと揺れる。縁に唇を付けてから、もう一度あなたを見上げた。
「いいぞ、全部」
あなたは笑った。
あ――――おほしさまだ。
窓の向こう、星が二つまたたいている。
ポラリス
――一年中動かないように見えるため地球上の現在位置を求める方位測定に用いられている
――こぐま座で最も明るい二等星
――現在の北極星である
ぼくのポラリス
初出:2024/10/06
加筆修正:2025/02/11
2/10/2025, 5:00:01 PM