「模試の結果配るから、呼ばれた順に受け取りに来なさい」
通っている塾で、少し前に行われた模試の結果が返って来た。
鬱屈とした気持ちで結果を受け取れば、志望校はA判定。
何かの間違いかもしれないと名前の欄を見るが、そこには『安藤 円香』と自分の名前。
残念なことに、自分の模試の結果だった……
普通ならば、喜ぶべき志望校のA判定。
だけど、私にとってこの結果は必ずしも歓迎すべきものじゃない。
原因は母にある。
母がこの結果を見れば、喜んでこう言うだろう。
『この調子ならもっと高いレベルを目指せるわね。
高く高く、もっと高いランクに挑戦していきましょう』
そして志望校のランクが上げるのだ……
かと言ってB判定なら、見るからに不機嫌になる。
『はあ、アナタなら出来ると思ったのに。
がっかりだわ』
と、しばらくの間グチグチと嫌味を言われる続ける……
たまったものじゃない。
本当は、はっきりと自分の行きたい学校を言えればいいんだろう。
けれど、私にはそんなものは無い。
やりたいものが無いない。
がんじがらめの私。
どうすればいいんだろう
「ねえ円香、模試の結果どうだった?」
私が思い悩んでいると、友人の咲夜が声をかけてきた。
彼女は最近塾に来たばかりなのだが、帰り道が同じなので自然と仲良くなった。
いい子なのだが、勉強が出来ない子である。
「あ、A判定だ。
いいなあ」
咲夜は羨ましそうに、私の模試の結果を見つめる。
全然よくないのだけど、咲夜は羨望の眼差しで私を見ていた。
咲夜には行きたい大学がある。
なんでも彼氏と同じ大学に行きたいらしいのだ。
けれど、今のままだと受かりそうにないので、こうして塾に入ったのだそうだ。
「私なんてEだよ、E!
このままじゃマズイ、マズイよ!」
私の答えも聞かず、咲夜は言葉を続ける。
咲夜はこうやって、よく愚痴りに来る。
けれど、私は不快ではなかった。
咲夜と一緒にいると、自分も元気になるような気がしたからだ。
「はああ、ヤバいなあ……」
だけど、今日の咲夜は少し元気がない。
思うように結果が出ないからかだろう。
咲夜は私の目の前でうなだれる。
「ねえ円香、これから一緒にエレベストに行こうよ」
彼女は本当に疲れていたらしい。
唐突に世界一高い山に行こうとお誘いを受ける。
だけど私は考えるよりも先に、口が動いた。
「いいね、行こうか」
どうやら私も疲れているらしい。
突拍子もない問いを、特に疑問に思うことなく了承する。
けれど不思議と後悔はない。
どうやって行くのとか、山は危ないとか思わなくもない。
でもそれでもいいと思った。
勉強しなくていいなら、なんでもいい。
それにだ。
エベレスト、いいじゃないか!
どうせ登るなら世界一だろう。
私は詳しい事を聞こうと顔を上げると、そこには母が立っていた。
母は、模試の日は必ず塾に迎えにやって来る。
少しでも早く結果を見るためだ。
母の姿を認めた私は、無言で紙を渡す。
見る見るうちに母の顔は笑顔になるが、その笑顔も今日限り。
ここぞとばかりに、私は自分の決意を伝える。
「ねえ、お母さん。
私、これからエベレストに行くから」
私の言葉に、母は目をパチクリする。
私の言っていることが分からないといった様子だ。
「お母さん、高く高くっていってたよね。
だから私、世界一を目指すことにしたの」
「円香、何言ってるの?
あなた疲れている――」
「お母さん、もう決めたの。
私はエベレストを登る。
勉強はもういらないの」
「円香!」
「お母さん、私は――」
「えっと、あの取り込み中の所、すいません」
咲夜が申し訳なさそうに、私たち親子の間に割って入る。
咲夜はこれまで見たことないくらいバツが悪そうに、私たちに言い放った
「あの……
『エベレスト』のことなんですけど……
それ、塾の近くのファミレスで出てくる、特大パフェの事です」
◇
「はいエベレスト2個ご注文承りました。
少々お待ちください」
注文を受けた店員が、店の奥に引っ込む。
咲夜は、それを目で追いかけて、店の奥に引っ込んだことを確認してから、私の方を見る
「円香、良かったね。
塾、休めてさ」
咲夜は、まるで自分の事の様に喜んでくれていた。
「勉強が辛そうだったからね。
これを機に羽を伸ばすといいよ」
あの後、母は『追い詰めてごめんなさい』と謝ってきた。
母は自分の事ばかり押し付けていたことを反省し、私に自由にさせてくれると言ってくれた。
『自由にしていい』と言われても困るけど、私の心が軽くなった。
勘違いとはいえ、少しだけ咲夜には感謝だ。
「それにしても、こんなところにファミレスがあるなんて知らなかったわ」
「おやおや?
円香さんは勉強ばかりでこういった事は不慣れなようですね」
「そうなんだよね。
咲夜先生、色々教えてくれない?」
「おお、まさか円香に教える日が来ようとはね」
「明日、矢が降るかもね」
「それ、私のセリフ」
ふふふと笑い合いあっていると、さっき注文を受けた店員が戻ってきた。
手に持っているのは、巨大なパフェ。
それを危なげなく運び、私たちの目の前にどかんと置かれる。
まさにエベレストにふさわしい威容である。
向かい側に座っている咲夜の顔が見えない。
「でかいでしょ?
まさにエベレストだよね」
「これどうやって食べるの?」
「早速授業の時間だね
これはね――」
こうして、咲夜先生によるエベレスト登頂講義が始まった。
高くそびえたつエベレストがどんどん解体されていく様子はとても面白い。
手慣れた様子から、彼女が私より遥かに高い位置にいることがわかる
自分にできるのかちょっぴり自信がないけど、でもそれ以上にワクワクしていた。
イヤイヤ登るだけだけの『高み』だったけど、たまにはこういう『高み』のもいいかもしれない
私はそう思いながら、眼の前にある高い高いエレベストの解体を始めるのだった
10/15/2024, 9:52:54 PM