「春爛漫」
スーツケースが未練がましく僕の手を後ろに引く。
戻りたいのはお前だけじゃねえよ、と半ば腹を立てながら引きずる。
地下鉄は多くの人で溢れていた。そうではないかもしれないが、なんとなく彼らが着ているスーツや制服が真新しく見える。
着古したパーカーにジーンズという装いの自分はなんだか浮いているような気がした。
地下鉄特有のカビくさい匂いが余計に腹をムカムカさせる。
乗り換えアプリを開いて目的地まで経路を確認する。
慣れない路線と駅。
昨日の夜から100回以上は確認しているかもしれない。
周りを行き交う人がアンドロイドのように思える。
孤独と緊張感で落ち着かない。
スマホとスーツケースの持ち手を握りしめた。
電車は人が多く、大きなスーツケースは余計に浮いた。どこも痛くないはずなのに肌がチリチリする。
負けじとイヤホンとスマホに集中して他人をシャットアウトした。
「卒業ソング」「桜ソング」...
くだらない。
新生活だ、新しい出発だの、春になったら誰もが爽やかな清々しい気持ちになると決めつけやがって。感傷に浸りたくなくていつものプレイリストを開く。
改札を出て不動産屋からもらった住所を地図アプリに入力する。
徒歩10分。
相変わらずスーツケースは駄々を捏ねたが、舗装された道路で幾分か覚悟を決めたらしい。
閑静な住宅街だ。
駅前には大きなショッピングビルではなく、小さなカフェとコンビニ、本屋。
地元よりもずっと暮らしやすそうだ。
な?悪くないだろ?新天地も。ここでどんな生活がまっているかワクワクするじゃないか。
スーツケースは少しスピードが乗ったようだ。
下り坂を下り切ると目の前が急にひらけた。
と同時に鮮やかな色の花、青空、甘い大風を全身で受け止めた。
桜の大群が花びらが散るのも厭わず、歓迎するように枝を揺らし、
肌を優しく撫でるように温かく爽やかな風が僕をくるりと囲む。
思わず足を止めてしまった。
大きな公園のようだ。風に乗って子供たちのキラキラしたはしゃぎ声が聞こえてくる。
まるで春の幸せを味わい尽くすべく、満面の笑顔を空に向ける花々。
その艶やかさは目の前の暗いモヤを一瞬のうちに取り払ってしまった。
僕は右耳のイヤホン外して、桜のプレイリストを再生した。
スーツケースは上下に跳ねながら後ろをついてきた。
3/28/2025, 5:46:37 AM