お花を植える時は一人でやらないとだめよ──
きれいな花を咲かせる人は、孤独な時を耐えなければならない──
僕の好きな漫画に書いてあった言葉だ。
単純な僕は、その言葉にいたく感銘を受けて──
というか、感化されて──花の種を蒔くことにした。
花を育てるのは、小学生の時にやらされた朝顔の観察以来だ。
花を咲かせるまでの、なんとなくの知識はある。
だから、大丈夫──そう、思っていた。
花を植える場所として選ばれたのは、雑草が伸び放題になっていた庭の一角だ。
雑草があった状態では、花を育てることは出来ない。
僕は、雑草を全て抜き取る「整地」に取り掛かることにした。
芝刈り機という文明の利器を持っていなかったので、軍手をつけて一つ一つ雑草を抜いていく。
実に地味な作業だ。
地味であるならば、楽であっても良いはずなのに…。
草むしりは、見かけ以上に重労働なものだった。
ただ草を抜くという地味作業なくせに、腰への負担が半端ない。
正直、涙が出そうなくらい腰が痛い。
相手は、たかが草だ。
見た目ひょろっちい草だ。
それなのに、強いとはどういう事だ?
「土から絶対離れないぜ」と地面にぐっと根を張り、踏ん張ってくる。ど根性の塊だ。
雑草根性という言葉があるが、雑草はマジヤバイと思う。コイツラ強えぞ、人の腰をいわすくらいにはな!
ちょっと草を毟っては、ストレッチをして、また草を毟る──。
腰への痛みが麻痺してきた頃。
ようやく、荒れ放題だった土地が綺麗になった。
僕は、無心に花の種を蒔き、土を被せ、たっぷりと水をあげた。
これで後は、放置すれば花が咲く──だなんて甘い話はなく──
抜いたはずの雑草は何故か気前よく生え──
腰痛の悪夢再来。
双葉が出て喜んだのもつかの間、虫たちが到来し──害虫対策に奔走。
害虫対策が功を奏し、葉が茂り始めた矢先に、
原因不明の葉の変色──知識を求め東奔西走。
花は一人で植えろって、大変過ぎんか?
正直、途中で何度も投げ出そうと思った。
育てても喜ぶのは、僕一人だけだし──投げ出しても、誰も責めはしない。
けれど──あの花は、他の誰のものでもない。
僕の花だ。
どんな花が咲くか、見てみたいのだ。
もしかしたらこの感情は、自己満足ってやつなのかもしれない。
けれど、自分一人も満足させられないなんて、なんだか寂しいではないか──。
僕は、花と向き合うことをやめなかった。
荒れ地を耕し、種を蒔いてから3ヶ月。
紆余曲折を得て、ようやく花が咲いた。
園芸初心者、初めてにして快挙である。
太陽に向かい、笑うように花が揺れている。
ところどころ葉の傷みはあるけれど、ちゃんと花として僕の目の前にある。
僕が見たかった花だ──
そう思うと、涙腺が緩み、ポロポロと涙が溢れた。
頬に温かい涙が伝っていく。
それを拭いもせず、愛おしい花を見続けていると、
お隣さんがフェンス越しに話しかけてきた。
「綺麗な花ですね」
その言葉に、僕は泣き笑いで答えた。
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涙の理由
「お花を植える時は〜」の言葉は
【黒博物館 スプリンガルド】著者:藤田和日郎
マーガレット・スケールズの台詞より拝借。
藤田和日郎先生の作品だと
【うしおととら】も好きです。
「真由子ととら」の話で出てくる「泥なんて──」の台詞も良いですよね(*´ω`*)
10/10/2024, 1:24:39 PM