10月30日 火曜日
No.3 【もう一つの物語】
「お母さん、私ね今度ある重要な仕事を任せて貰えたんだよ。直接伝えてあげたかったな。」
50代にしてシミひとつない母の綺麗な頬を撫でる。
頬からはいつもの温もりが感じられない。
数時間前亡くなった母の頬は冷たかった。
「私ね、とっても幸せだったの。お父さんがいない分たっぷり私のことを愛してくれて、ありがとうね。」
私の父は私が幼いときに病気で亡くなった。
母は女手一つで私のことを育ててくれた。
そんな母が病気にかかっていると知ったのは、数週間前のこと。病気の存在がわかったのは3年も前だったけれど伝えられていたのは母の兄だけで、私は何も知らなかった。
「伝えてくれてもよかったのにな…お母さん。」
本当はなんでそんな大事なことを私に伝えてくれなかったの、と思ったけれど
「俺も伝えた方がいいって言ったんだけどね。絶対に言わないでくれって。あの子は優しい子だから私が病気だと知ったら、仕事に集中しなくなると思うの。あの子には夢を諦めてほしくないってさ。」
とおじさんから母の想いを聞いて、母を責められるわけがない。
今日は母と2人で過ごす最後の日。
安らかに眠る母の隣で遺品を整理する。
母は自分がもうすぐだと気づいていたらしく、身の回りの物は全て整理してあった。
“私の生きた証”と書かれたダンボールから一つ一つ丁寧に物を取り出す。
箱の中は、私が母にあげたものばかりだった。
幼稚園で描いてあげた家族三人の絵や、中学卒業に書いた手紙。
どこもよれることなく綺麗にしまってあった。
「私、愛されてたんだな…」
父がいなくても寂しさを感じることはなかった。
それは、母がその分私をたくさん想ってくれたからだろう。
ふと、見覚えのないものをみつけた。
小さな箱を開けると、出てきたのは
二つのブレスレット
黄色とピンクの安いビーズで作られたものと、
水色と白のストーンでできた少し高そうなもの。
黄色とピンクのビーズでできたいかにも安そうなブレスレットは、私がまだ小さい時に父と母の日に作ってあげたものだ。懐かしいな…
でも、もう一つのブレスレットは見覚えがなかった。
不思議に思いながらも、そのブレスレットを箱にしまう。おじさんに聞けば、知っているかな?私はその箱を自分のカバンにしまった。
大切な思い出のある黄色とピンクのブレスレットを母の手に持たせてあげた。
あら、もうこんな時間。明日に備えて今日はもう休むことにしよう。
–––––翌日、母の葬儀は小規模で主に家族だけで行われた
母に最後の挨拶をして、火葬場へと移動する。
葬儀場の外に出ると、何か視線を感じた。
視線の方に、目を向けると背の高い男の子人が立っていた。
こちらを悲しそうな顔で見ている。
知っている人かな、そう思い、会釈をしようとしたが、
私とは目が合っていなかった。
母の入った棺をずっと見つめている。
遠くからはよく見えなかったけれど、その瞳は涙がたまっているように見えた。
しばらく棺を見つめると、静かに手を合わせて去っていった。
なんだったのだろうと思い、再び足を進める、
––––はっとして、また歩くのを止める。手を合わせた男の人の腕には、見覚えのあるブレスレットが付いていた。
母との昔の会話が蘇ってくる。
「ママ、1人でごめんね。ねぇ、パパいないと寂しい?」
ある時、母にそう聞かれた。
私はなんで答えたんだっけ、、、。
「なんでそんなこと言うの?パパいなくなっていない。ずっといるよ。私にはパパがずっとパパだもん。」
急いでカバンから小さな箱を取り出す。
黄色とピンクのブレスレットを大事そうに持つ母の手に水色と白のブレスレットも持たせてあげた。
「伝えてくれてもよかったのにな…お母さん。」
これは、私の知らない母の人生のもう一つの物語。
「私、どこまでも愛されてたんだな…」
今にもあふれて溢れていまいそうな涙を抑えて上をむく。
空はどこまでも青く、広かった。
10/29/2024, 6:33:56 PM