初音くろ

Open App

今日のテーマ
《日常》





いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ時間に家を出る。
いつもと同じ道を歩き、いつも通りに駅に着く。
電車は定刻にホームへ滑り込んできて、人を吐き出し、乗せて、発車する。

そんないつも通りの朝、僕の心を強く惹きつける姿がある。
3両目の一番前のドア、そのすぐ近くの席に座る人。
変わり映えしないモノクロの日常の中にあって、彼女の周囲だけが色鮮やかに浮かび上がっているかのよう。
同じ学校の1学年上の彼女は、僕にとって憧れの人だ。
あんなに可愛いのに、大人しめの性格のせいなのか、あまり目立つ存在ではない。

僕が彼女を知るきっかけとなったのは、以前図書室に本を借りに行った時のこと。
誰かが本来在るべき場所とは違う棚に戻してしまったらしく、所在を聞きにいったところ、ちょうどその日の当番だった彼女が一緒に本を探してくれた。
確かに図書室の本の整理は図書委員の仕事かもしれないけど、本が所定の位置になかったのは彼女のせいではない。
それなのに、彼女は何度も「ごめんね」と謝りながら、図書室の端から端までその本を探すのにつきあってくれた。
とびきり可愛くて親切な先輩とのひとときはまさに『非日常』というべきもので、僕の心を俄に浮き立たせた。

その数日後、たまたま普段より1本早い電車で彼女の姿を見かけてから、僕はその電車を『いつもの電車』に変えた。
彼女の乗ってくるのはその電車の始発駅らしく、いつも大体同じような席に座っている。
僕はその近くの手摺り付近に陣取って、スマホを見ながら時々彼女の姿を盗み見る。
まるでストーカーのようだと思わなくもないけど、目立たず凡庸な後輩の僕は話しかける勇気も持てない。
付き纏ったり、彼女の身辺を探ったりしているわけではなく、ただ憧れの人を遠目に眺めているだけなのだ。
言ってみれば、好きなアイドルや女優などの出演作を定期的に見ているだけの緩いファン活動のようなものだから、害はないと思いたい。
今日も今日とて、彼女は布製のブックカバーがかけられた本を熱心に読んでいてこちらに気づくことはない。
時折ふわりと零れるその微笑みに、僕の鼓動が跳ね上げられているなんて気づきもせずに。
そんなささやかな幸せを彩るこんな日常が1日も長く続きますようにと願いながら、僕は今日もチラチラと読書に励む彼女の姿を眺める。

彼女がいつも読んでいるのが僕が図書室で借りた本ばかりだということも、僕がスマホに目を落とした時に彼女の方もまた僕のことをチラチラ窺っていたなんてことを知るのは、もう少し先の話。





6/23/2023, 8:37:38 AM