瑞葵

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掃除をしていたら懐かしいものが出てきた。
「ぼくのたからもの」
小学生の時に書いた作文だ。昔のことすぎて、あまり覚えていない。

「ぼくのたからものは、野きゅうのバットです。お父さんに買ってもらいました。一生つかいつづけます!」

小学生らしい、普通の内容だ。そういえばこの頃のものってどうしたんだっけ。あぁ、中学に上がるタイミングで捨てたんだ。少ししんみりした気持ちになった。
でも逆に考えてみる。今もバットが変わらずあったらどう思うだろう。......邪魔だ。今はもう野球どころかスポーツすらやっていないのだ。また、今小学生の頃に使っていたものがあったらどう思うか。......これも邪魔。着れない服なんてあっても使うことなんかないし、積み木なんかでは絶対に遊ばない。

宝物って何なんだろう。

いつかは要らなくなってしまうし、捨ててしまう。作文があったおかげでバットのことを思い出せたが、作文がなかったら忘れたままだった。これは言い切れる。なんだか悲しくなった。小学生の頃の宝物はもう捨てた。何が宝物だったかなんて覚えてもいない。

いや、違う。そうじゃないんだ。

「たからもの」は、そのモノ自体のことじゃなくて、それと一緒に作った大きな思い出のことなんだ。そのモノを大切にしていた頃の思い出は暖かくて、その頃に戻りたくなるような儚さがある。
現に、作文を読んで、バットの手入れをたくさんしたことよりも、父に買ってもらったときのこと、友達と野球以外でもたくさん遊んだこととか、当時の楽しかった記憶が溢れ出てきた。バットはもう捨てた。し、その他の「たからもの」もきっと捨ててしまった。「たからもの」だったことすら忘れてしまったモノがほとんどだと思う。

でも何かをきっかけに思い出すかもしれない。
その過去の思い出が、今の「宝物」、昔の「たからもの」が今の「宝物」(思い出)なんだ。



_宝物_

11/20/2022, 3:09:23 PM