sairo

Open App

「世界に一つだけ。あなただけの特別を」

繰り返される言葉と、にこにこと笑う店員に腕を引かれ、少女は店内へと足を踏み入れた。

白磁のティーセット。青の宝石の美しいネックレス。分厚い装飾の本。
外からは何の店かは分からなかった店内には様々なものが所狭しと並べられ、やはり何の店なのかは分からない。
古いからくり時計。牡丹の紋様の描かれた振り袖。黒いリボンの麦わら帽子。
店員に促され、腕を引かれて奥へと進む。物言わぬ店内の商品が店員と少女を見ている気がした。


「さて。ここは世界に一つだけの、あなただけの特別と出会える、特別な場所でございます」

変わらぬ笑みを浮かべる店員は、少女を椅子に座らせて奥の棚から一つの箱を取り出す。
蓋を開けて少女の目の前に中身を置くと、店員は笑みを深めて囁いた。

「これはあなたの特別。あなた以外の誰のものでもない、唯一の特別ですよ」

長い黒髪を一つに結った、あどけない微笑みを浮かべた人形。箱から出され足を投げ出して座る人形は、その虚ろなガラスの眼で少女をただ見つめていた。

「いかがでしょう。お代はあなたの灯火を少々。たったそれだけでこれがあなたの特別になるのです」

にたにたと笑みを貼り付け、店員は尋ねる。
けれど少女は表情一つ変えず、何も言わずに人形へと手を伸ばし。

「いらない。これは私の特別なんかじゃないわ」

否定の言葉と共に指先で人形の額を押し、座る人形を倒した。

ぴしり、と音がなる。
何かがひび割れたような、小さな音が店内に響く。
動きを止めた店員の顔が歪み、亀裂が走る。

「私のあの子はこんな木偶じゃない。偽物なんかいらない」

ぴしりぴしり、と音が響く。
少女が否定を口にする度に音は大きく、店内のあちらこちらから聞こえ始め。

気づけば店内にあるものすべてがひび割れ、店員は音もなく崩れ落ちていった。


「あの子以外は何もいらないのよ」

崩壊する店内には目もくれず、少女は出口へ向かい歩き出す。
ひび割れ崩れていく商品達の、恨む言葉は彼女には届かない。突き刺さる嫉妬の視線を、彼女は意にも介さない。
縋る多くの腕を振り払い、少女は一度も足を止める事なく店を出た。



「すごいな。何も持たずに出てこれたのか」

店から去って行く少女のその背を見送り、思わず苦笑する。
化生に誘われ店に入っていった時はどうするべきかと悩んだが、程なくして身一つで出てきたのだから、それは感嘆に値するものだ。

「あれにとって、必要なものがはっきりしていたというだけの事。執着は時として人間を妖と成らせるのですから、入れ込まぬように」
「さすがにこれ以上、しかも人を増やしはしないさ」

腕にしなだれかかる彼女の頭を撫でながら、大丈夫だと宥め。若干ではあるが機嫌の直ったらしい彼女は、鼻を鳴らしそっぽを向いた。

「それならばいいのです。お前はおとなしくわっちの望む通りに動きなさい」

分かっている、と肯定する。
あえて言われなくとも、こうして望むままに彼女の供をしているのだから今更な事だ。
小さく笑みを浮かべ、ふと改めて少女が出てきた店を見る。

色あせた、テナント募集の張り紙が、ここが長い間無人であった事を伝えていた。

「世界に一つだけの、自分だけの特別ねぇ」
「意味が分かりません。世界には唯一が溢れているというのに、何故人間はこうも愚かなのでしょう」

金と青の瞳が嘲るように歪む。
己自身が唯一であるにも関わらず、新たに己だけの特別を求める事が心底理解出来ないのだろう。

「まぁ、世界に一つとか、特別とかの言葉が魅力的に聞こえるんじゃないか?優越感というやつだ」
「くだらない。人間という矮小なものが優劣を競った所で、何になるというのですか。まったく嘆かわしい」

神である彼女には、人の繊細ともいえる感情の機微を理解できない。くだらないと一蹴したそれが、人を鼓舞し、嫉妬を生み、時には人を簡単に変えてしまう事を、知り得ない。
たとえ理解した所で結局は愚かだと嘲るのだろうなと、意味のない事を考えながら腕を軽く引いた。

「そろそろ行こうか。まだ行きたい所があるんだろう?」
「そうですね。行きましょうか」

しなだれかかっていた腕を掴み、先導して歩き出す。
久しぶりの遠出。行きたい所は決まっているのか、彼女の足は迷う事はない。
彼女に連れられながら、意識を切り替え歩き出す。

足早に遠ざかる二人の影がゆらりと揺れて。
いつしか猫を抱く一人の影に変わっていった。



20240910 『世界に一つだけ』

9/10/2024, 4:37:53 PM