もしもタイムマシーンがあったなら
過去に行きたいか未来に行きたいかと問われれば迷わず過去。
未来を知ることにあまり興味はない特に自分の未来を知ることは殺されることとさして変わらぬほど残酷なことのように思う。自分のいない未来の文化を見学することなら楽しそうだが。
けれど今2024年令和6年の私は30年前の私にとっては未来人けれど2034年令和16年の私にとっては過去の人今というひとつの点から過去と未来は和のように繋がってどの点を今とするのか?ってだけなら、過去も未来も無くないかとたまに思うのである…。
そして本日のお題は「タイムマシーンがあったなら」ドラえもんかエメット・ブラウンと出会った私は何処に行きたいかと言えば自分が存在する以前の私の育った家だろうか…。いや、夫の子供時代を訪れて夕焼けのお姉ちゃんになるのも良いがやはり、会えなかった自分の祖父や曽祖父自分のルーツを旅してみたい気がするが
それはなにもタイムマシーンが無くとも出来るのではないかと思う出来事があったのでここに記す。
とみに最近感じること、一ヶ月に一度実家までドライブをするようになった近頃、目的はお墓参り。その田舎の風景は未だ昭和の面影を残し田畑の色合い古い建物そこで活動する人々は遠目に見ると昭和に戻ったような錯覚を覚える。
農道を歩く前掛け姿のおばあちゃんはその50年前にもそこにいて下校途中の私に声をかけたあのおばあちゃんではなかったかな?いやいやもう令和6年かりにあのおばあちゃんだったとしたら100歳超えだ、けれど全く同じ風景を私は50年以上前にここで見たというデジャヴのようなタイムスリップを経験したのだった。
後で知ったのは、その令和6年のおばあちゃんは昭和45年のおばあちゃんの孫だった・・・
タイムマシーンならそこにある。
血の流れの中にある。
引きこもりの中学2年なら真っ直ぐ感じ取れないだろう、血の流れというタイムマシーン祖父の祖母のそのまた祖父母の流れの中に漂う1枚の葉それがひとりの人間という輪廻森羅万象
タイムマシーンならそこにある。
令和6年7月22日
心幸
7/22/2024, 3:45:23 PM