結城斗永

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 その男は上を目指していた。
 雲に囲まれた真っ白な空間の中、天へと続く階段を一段ずつ上がっていくのを、俺は傍目から見つめていた。
 男の視線は遥か上方の眩い光に向かい、それでも確かに踏み出される足とは対照的に、彼の視線から外れた不確かな足場には、見ているこちらがハラハラさせられる。
 俺がそう思うのは、この階段がとても不安定で崩れやすいことを知っているからだ。一歩を踏み出す度、足場は小さく揺れながら沈み、一部がほろほろと崩れていく。
 それでも男は階段の先にある光に向かい続けている。

 数段上がったところで、ふと男の視線が足元に向かう。周りを覆う雲が次第に灰色に変わっていく。恐怖とはそれを認識した時点から大きくなるものである。
 男の視線が小刻みに揺れているのが分かる。一歩を踏み出すまでの時間が、先ほどより明らかに長くなっている。
 男の額からは汗が滴り、足場の硬さを確かめるように小さくつま先を落としては、ビクリと体を震わせて再び足を上げる。
 それでも意を決して足を下ろした男は、地に足がついた感触に大きく胸を撫で下ろす。

 次第に、男の視線は足元から離れなくなった。雲はもはやどす黒く、先ほどまで見つめていた遥か上方の光は男の眼中になかった。男はただただ足元の恐怖に身を震わせる。
 しかし男の口元は僅かに緩み、口角が上がっている。男はもはや、恐怖を楽しんでいた。
 いつ崩れるとも分からない不確かな感触。生きるか死ぬかの瀬戸際。崩れた先に待つものへの興味。
 男の瞳孔は完全に開き、口の端は頬が引き攣るほどに上がりきっている。足場を踏みしめる度に体を震わせ、快感に満ちた絶叫を上げる。
 男の歩みはもう止まらない。
『もう一歩……あともう一歩だけ、この快感を味わわせておくれ……』

#もう一歩だけ、

8/25/2025, 11:11:08 AM