名前の無い音

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『あたたかい手』


何度 死にたいって思ったかわからない
何度も何度も どうやって
消えてやろうかって 考えてた

ムカつく人
いじめる人
興味ない人

学校に行かなくなってから
ありとあらゆる人間が
嫌になっていた

しばらく 家に引きこもっていたけど
わたしはわたしの行きたいところに
行く事にした

* * * * * *

祖父の家は 小さな港町にある
祖父母は 小さな畑と小さな田んぼを作りながら
のんびりと暮らしていた。

わたしは小さい頃から
祖父母の家が好きだった
自分の家より広くて ちょっと暗いけど
畳の部屋があって ゴロゴロ出来る
そしてなにより……うるさくない

「お昼ごはん なに食べる~?」

ばあちゃんが笑顔で聞いてくる

「なんでもいいよ~
あっ わたしが何か作ろうか?」
「あら 何作ってくれるの?
ハイカラなもの作ってくれるの?」

ばあちゃんは 可愛い
母みたいに
『なんで』『どうして』って聞いてこない
『ちゃんとしなさい』『頑張れば出来る』
なんて言ってこない

「お? お昼はなんだか 美味しいものが?」

じいちゃんは 大きい
父みたいに
『最悪だ』『ダメだ』って否定してこない
『おまえはバカだから』『どうせ無駄だ』
なんて言ってこない

わたしは 二人が大好きだ
この家も ここの空気も大好きだ

そして もうひとつ 好きな理由がある
ここの家には『はなれ』があって
そこは じいちゃんの書斎と
作業する部屋がある

じいちゃんの趣味は絵を描くこと
作業部屋には筆が沢山あった

そして 沢山の本が 部屋の回りを
ぐるっと囲む本棚に並んでいた

「なんでも読んで良いぞ」

そう言われてから 少しずつ読んでいる
最初に言われたのは小学生の時
実はマンガも多いし 絵本もある
本当に色々な本がある
物凄く古そうな 戦争の資料の本もある

わたしは こっちに来てから
じいちゃんの書斎に入り浸っていた

いつものように
じいちゃんのお気に入りの
ロッキングチェアを借りて
手当たり次第に本を読んでいると
カラカラとはなれの玄関が開いた

「いるかー?」

小さなお盆に コップがふたつ
じいちゃんが 自家製のトマトジュースを
持ってきてくれた
トマトジュースはヒンヤリしていて
トマトのまんまの味がした

二人でトマトジュースを飲む

「何読んでた?」
「んー?夏目漱石」
「なんと、渋いなぁ 『坊っちゃん 』か?」
「ちがう 『こころ』だよ」
「あぁ…………」

じいちゃんは ゆっくりとトマトジュースを飲み干す

「あのな………」

いつになく 静かなトーンでじいちゃんが
話しかけた

「……あのな 死んだらダメだ」
「え?」

突然の言葉に わたしはドキッとした

「死んだら ダメなんだ……死んだらさ
必ず誰かが 悲しむんだ 悲しいのは ダメだ」
「……う、うん……」

なんとなく 自分の心の中を
のぞかれたような気がして びっくりした
そうか! そういうことか
じいちゃんは この本『こころ』の話をしてるんだ

(わたしのことを言ってるんじゃない……)

そう思ったとき

「おまえもだ……いなくなったら おれは悲しい
ばぁさんも悲しい だがら 死んだらダメだ
逃げだくなったら ここさ来ればいい
なんぼでも 居ていいがらな 逃げでいいんだぞ」
「……」

わたしは残りのトマトジュースを一気に飲んだ

「ほれ 飲んだが?
どれ あっちさ持っていぐから よごさいん」

じいちゃんが 私のコップを回収してお盆に乗せる
そして わしゃわしゃと わたしの頭を撫でた

「なんと めんこい孫だ!」

そういって 部屋を出ていった

頭には じいちゃんの大きくて
温かくて ゴツゴツした手の感触が
残っていた

わたしは途中だった本をひらいたが
あぁ……見えないや
文字がぼやける

先生もKも きっと 誰かが
悲しんだんだよ……

わたしは ひらいた本をそっと閉じて
目をつぶる

(じいちゃん ありがとう 大好きだ)

ロッキングチェアに身を委ねた
もうしばらく このまま揺れていよう

さて……
明日のごはんは 何を作ろうかな

6/16/2022, 9:27:16 AM