人と人とは、言葉で分かり合う。
親と子、兄と弟、あるいは友や隣人、恋人や配偶者と。ありとあらゆる関係性は送られ合う言葉によって築かれるものであり、それらは不確かかつ曖昧で、常に誤解を生じ、だからこそその絆は得難く、素晴らしいものだ。
しかし自分は、それがあまりうまくないらしかった。
幼い頃からそうだった。拾って育ててくれた養父母でさえ、時たまこの物言いで怒らせた。村の人々からは少し遠巻きにされ、いい歳だと言うのに交際相手どころか友人すらいなかった。笑顔で話しかけてくれるのは初対面の相手くらいで、それも自分が口を開くとどの人もその頬をひきつらせた。
「おまえは一言多いんだよ。」
村人を怒らせた後に、よく養父母から言われた台詞だった。なるほどそうかと思い言葉を選び、言葉を減らした。
しかし、何も変わらなかった。
ある日、赤子を拾った。沐浴中に籠が流れてきたので中を見たら、赤子だったのだ。赤子は衰弱して泣くことすら出来なくなっていたが、弱々しくこちらを見つめるその目には確かに、生への欲求が宿っていた。それを見て、オレはその子を拾うことにした。当時もあまり豊かではない時代だった。飢饉が起こることも度々あり、この子と似たような境遇の子供は数え切れないほど見てきた。子供に限らず、この歳までたくさんの者を見殺しにしてきた自覚はあるのだが、この子はなんとなく見殺しにするのは忍びない、可能ならオレが救ってやりたいと思った。きっと目が合ったせいだ。求められては、拒むことはできない。あるいは自分もかつては、同じ境遇であったからかもしれない。
家に連れ帰ったはいいものの、養父母に世話になっている身で食い扶持を増やすのも申し訳ないと思い、己の分の食事を少し減らして赤子に与えた。不思議なことに赤子は全く泣かなかった。代わりにこちらをじっと見つめてきて、オレが何だと声をかけるとニコッと笑った。お陰で養父母からもしばらくは隠すことができた。しかし声をかけるたびにこんな風に笑いかけてもらえるというのはオレにとっては初めてで、酷く動揺した。同時に感じたことがないような穏やかな気持ちでもあった。
その後、とある経緯で赤子の存在が養父母に露呈してからは、昼の赤子の世話は養母がしてくれるようになった。かなり遅くなったが、名前も付けた。そのあたりの時期から、赤子は泣くようになった。オレが見えている間は顔をくしゃくしゃにして、必死になって耐えているのだが、姿が見えなくなった途端堰を切ったようにふやふやと声をあげるのだった。言葉を話すようになってからは、ちちうえ、と泣いた。幼い子に寂しい思いをさせて可哀想だ、という気持ちもあったが、同時に少し嬉しいような、どす黒い感情が自分に湧いているのも感じていた。代わりに夜から朝までは子供の好きにさせた。子供はちちうえちちうえとオレの足に絡みつき、腰にぶら下がり、手を繋ごうとし、抱きつき、おやすみのキスをせがみ、そしてオレの上に乗っかって寝た。毎朝服の腹には子供のよだれの跡が丸くついたので、オレはいつも同じ服を着て寝た。
それはオレたちが家を出るまで続いた。
酷い飢饉だった。隣家でも飢えて死ぬ者が出た。年若い自分が最も家の食料を減らしていると分かっていたので、養父母には何も言わず家を出ることにした。子供を頼むと書き残して。しかし子供はそれを察していたらしかった。
「おねがいです。おれもつれていってください」
小さな声は震えていた。飢えて死にたいのかと言ったら、子供はちちうえといっしょならなんでもいいです、と泣いた。その時、子供の泣いた顔を直接見たのはこれが初めてだと気がついた。その日から子供との二人旅が始まった。
幸運なことに、仕事は飢える前に見つかった。盗賊に襲われている人を助けたことがきっかけで、自分に何らかの戦闘の才があるということを発見したのだった。武器は盗賊が使っていた弓矢と剣を拝借し、古くなったら捨てた。不安定かつ危険な仕事だったが、その分報酬はそれなりに高かったし、体を鍛えるのは楽しく、なにより自らの得意なことで人の役に立てるということが、そして自分についてきてくれた子を飢えさせずに済むということが、素直に嬉しかった。
「おれもおおきくなったら、ちちうえみたいにつよくなるんです!」
「諦めた方が賢明だな。」
「けん…?」
子供は怪訝な顔をした。この子には難しい言葉だったようだ。少し考えて言い直す。
「おまえに戦いは無理だ。向いていない。」
「な、なんでですか!?」
子供が成長するたびに、こうして平易な言葉に直すことが増えていた。子供は無知ゆえにオレの発言に怒りだすこともせず、オレが話し終わるのを素直に待っていた。それはオレにとっては有難く嬉しいことだ︎が、自分とばかり会話しているから、人を怒らせる物言いがこの子にも移らないか心配だった。
「手を見ろ。料理用の刃物でその怪我だ。武器の扱いが得意になるとはとても思えん。それに突然襲撃を受けるとお前は体が固まる。それでは武器を持っても死ぬだけだ。」
「……で、でも……、でも……。」
「そもそも、おまえはなにか作ることの方が好きなのではないか?刃物の扱いはともかく、味へのこだわりはたいしたものだ。かまどは火が燃えやすいよう石の積み方が工夫されているし、この間は余った木でなにか彫っていただろう。素晴らしい才能だ。オレには真似出来ん。」
オレに褒められているのがわかったのか、子供の顔がパッと明るくなる。でも直ぐに不貞腐れた顔に戻った。
「でも、おれはちちうえみたいにかっこいくなりたいんだもん……。」
「…………そう、……か。」
愛らしい発言にこちらが動揺する。こういう素直さは考えものだ。どう答えたらいいか分からなくなる。自分は慣れていないのだ。そう、慣れていない。こうしてはっきりと、まっすぐに、好意を伝えられるということに。
「ならばよく食べてよく眠れ。まずは戦える体を作ることだ。オレに教えられることはないが、鍛錬には付き合おう。」
出来る限りの譲歩を提案すると、ドンッと足に衝撃が来た。子供が突進してきたのだ。
「ちちうえだいすき!!」
今度こそ、オレは返す言葉を失った。
欠陥しかない親でも子は勝手に育つもので、幸いオレの物言いは子には移らなかったようだった。初めて会う人間に対しては緊張しがちではあったが、オレよりよっぽどマシな人間関係を築く子に育った。飢饉も終わり、最早こんな危険な旅に幼い子がついてくる理由も無いと思うようになったが、子に「どこかでおまえを保護してくれる人間を探そうか」とも言い出せなかった。端的に言えば、オレはその子に絆されていた。なんの警戒もなく差し出されるその小さな手を、大好きだと言う幸福そうな笑顔を、傍で眠る体温を、オレは失いたくなかったのだ。
だから、せめて自分に出来ることはなんでもした。1度でも負けるようなことはあってはならないと思った。鍛錬は怠らなかったし、難しい仕事は断った。一緒にいたいと言われたから出来るだけ傍に居たし、他にも子にせがまれたことは出来うる限り叶えてやった。まぁそれは大抵、手を繋ぎたいとかぎゅってして欲しいとか、そんな要求ではあった。
そのうち、子にせがまれる前に、手を差し出すようになった。抱き締めてやるようになった。おやすみのキスだけでなく、おはようのキスもするようになった。そのたびに子はふにゃふにゃに頬を緩ませて喜んだので、オレも嬉しかった。
言うことがない、とはこういうことか。
あるいは、これが幸福というものなのだろうか。少し違う気もする。もっと激しくて、強くて、なんらかの衝動を伴う別の感情のような。と思ったところで子がうにゃうにゃと寝言を言い出したので考えるのを中断し、毛布をかけ直してやる。幼い寝顔を眺めながら、もしかしたらこの子が大人になっても、この答えは出ないかもしれないと思った。
やはりオレは、こういうのがうまくないのだった。
4/11/2026, 10:34:28 PM