M.E.

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景色はそれをみる人や、その人を取り巻いている状況によって、”見え方”が変わると思う。



わたしは、気持ちが鬱いでいるときに、雲一つない青空を見ることが嫌で仕方なかった。

空色の美しさに自分が飲み込まれてしまう気がした。

本当はきれいだと感じる景色のはずなのに。

きれいだと思いたいのに、きれいだと心の底から思えないことが、悔しかった。

青空を見ないようにするために、部屋のカーテンをピシャリと閉め切った。それでも、カーテンの隙間から僅かな光が差してくる。その光の生命力のようなものに嫌悪感を感じると同時に、羨ましい気持ちになった。



わたしは、過去を後悔するときに、未来がどうなっているか知っていれば防げたのではないかも考えることがある。

また、わたしが今不安で仕方ないことは、未来で解決できているのか。確かめるために、未来を知ることができたらいいのにと思うことがある。

このようなときには、わたしに’’未来を予知’’できる能力があったらなと思う。

予言者が、これから未来に何が起こるのか予言したことのなかには、実際に現実となるものがあったとテレビ番組でみた。それからは、科学では証明できない人間の’’未来を予知’’できる能力があるのだと思った。



しかし、“未来を予知することに伴う代償“があるとすれば、自分にこれから起こるうれしいことや悲しいことが全部わかることで、うれしいことも悲しいこともその感情の大きさが小さくなってしまうことではないかと思う。

悲しみを小さくしたいとは思うが、その代わりにうれしいことも小さくなったら、どうだろうか。

何が正解かはないし、それぞれの価値観によって変わってくると思う。

わたしは悲しいことがあったとき、人の優しさををこれまで以上に感じた。このとき、自分は本当に幸せだと心から思えた。

この気持ちは、これから起こることを知っていたら、味わえない気持ちだったと思う。



結局、わたしが予知能力を手に入れることのできる状況に置かれたときに、手に入れようとするのか、それとも拒否するのか、今ははっきりといえない。

しかし、これからなにが起こるかわからない状況のなかで生きていくことを選んだ方が、人生の最期に、いいことも悪いことも大きなパネルに全部並べて、全体を俯瞰してみたときに、「いろいろあったが、わたしは人生においてほんとうにいい景色をみることができた」と思えるのではないか。今は悪いとしか思えないことでも、最期にはいいことと捉えられるようになるのではないか。

この大きなパネルのなかに、目の前の景色があることを想像すると、これまでより少しきれいだと思える気がする。







_________________________まだ見ぬ景色______。

1/13/2025, 4:09:26 PM