白玖

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[突然の別れ]

「君は、夕霧じゃないかい? 久方振りじゃないか」
「青木様。ようこそお越し下さいました」
「少し見ないうちに娼妓の振る舞いが板に付いているじゃあないか。誰かと思ってしまったよ、とても綺麗になったね」
「ありがとうございます。……本日も朝雲姐さんにお会いに?」
「ん? ああ、そんなところかな」
珍しく歯切れの悪い貴方の言葉にどうしてか汗が一筋伝う。
「青木様?」
「あ、ははは。やはり駄目だな、君に隠し事は出来ない」
「ええ。ですからどうか白状なさって下さいませ」
心中など悟らせないよう、上品に口元をしならせて彼を見詰める。夕霧の名を頂き3年が経って身に染み付いた笑顔。彼の前でだけは出逢った時のまま、昔のままでいたいのに娼妓としての立ち振る舞いが私を『まめ』ではなく『夕霧』へと変えてしまう。
彼と出逢ったのは朝雲姐さんのお付きをしていた頃。朝雲姐さんのお客として妓楼に来ていた貴方と言葉を交わすうち、私は貴方を慕うようになっていた。恋い慕う貴方に水揚げをしてもらえた幸福は今でも鮮明に思い出せる。想いが叶わずとも貴方を慕う心は『夕霧』となってた今だって何一つ変わってなどいないのです。
「実はね、朝雲を落籍することになったんだ」
「……落籍、ですか」
口内の水分が全て蒸発してしまったかのように一気に喉がひりつく。
落籍、落籍?
「それはそれは。おめでとう、ございます」
「ああ、ありがとう。つい先日ようやく朝雲が受け入れてくれてね」
「朝雲姐さんもさぞお喜びになっているでしょうね」
「そうなんだよ、普段通りだと本人は話しているが仕草が浮足立っていてね。愛らしいよ」
「でしたら本日は旦那様に身請け話のことでいらしゃっていたのですね。何故隠したりなどしたのですか? こんなに喜ばしいことなのに」
こんな話を聞いて笑顔の一つも絶やせない『夕霧』が憎らしい。喜ばしいだなんて嘘。心の底から嬉しそうな貴方が憎らしい。だって、姐さんを身請けしたら貴方はもう此処に出向かないのでしょう?会えなくて辛い想いをするのは私だけなのでしょう?
「夕霧、泣いているのかい」
「……え?」
あの日以來、初めて感じる貴方の体温。目元を親指で拭われて自分が涙を流していることに気付く。
「君は朝雲を実の姉のように慕っていたからね、君の気持ちを考えずについ浮かれてしまっていたらしい。大丈夫かい?」
「青木、様……。いいえ、大丈夫です。私も本当に嬉しく思っているのです、本当に……」
会えなくなって身を焦がすのは私だけ。水揚げして頂いたからといって彼の目には最初から朝雲姐さんしか映っていないのも昔から知っていた事。
でもこうして姿を見掛けるだけで幸せだったのです。貴方に見付けてもらうことが何よりも嬉しかったのです。言葉を交わせるだけで心が満たされていたのです。
「まめの泣く姿を見るのは初めてだったか」
「も、うし訳ありません」
「いや、気にしないでくれ。……なぁ、今夜は暇かい?」
「……はい」
「そうか、なら部屋で待っていてくれるかい? 旦那に話を通した後、そちらに向かうよ。今日は君が泣き止むまで隣に居させてくれ」
(……酷いお方)
貴方はどこまでも残酷なことをしてくださる。私の思慕に気付かずにただ優しく私を包み込もうと心を砕いてくださる。いっそのこと捨て置いて下さったら私は貴方を忘れられたというのに。
だから私は生涯貴方を忘れられないのでしょう。
この地獄で出逢った貴方を慕い続けてしまうのでしょう。

――嗚呼、誰か。どうか
――この身を焦がす炎を、他でもない貴方自身に
――吹き消してほしい

5/20/2023, 2:54:29 AM