木蘭

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【飛べない翼】

今、僕の背中には誰の目から見ても明らかな翼がある。大きめの洋服やリュックで隠そうとするが、かなり不自然な背中の膨らみを指摘されることは少なくない。

もちろん、翼があるからといって飛べるわけではない。この翼は『飛べない翼症候群』によってもたらされたものだ。

『飛べない翼症候群』は国内で数千例しかない、珍しい症例だ。翼が生えることを除いては大きさや色、形などもまちまちで、原因も未だ特定されていない。幼少期に発症し、最初は肩甲骨が少し盛り上がっているくらいだが、小学生高学年から中学生にかけて翼が形成されていく。そして、高校から大学入学までに翼は消滅するとされている。

ただ、ごく稀に成人しても翼がそのまま残る場合がある。27歳の僕がその「稀な例」だ。

「あの、もしかして今井さんって『飛べない翼症候群』ですか?」

たまたま廊下ですれ違った総務の花岡さんに、突然声をかけられた。

「えぇ、まぁ…」

「やっぱり! でも、珍しいですよね。社会人になっても翼が残ってるのって。私も大学入学近くまであったんですよ、背中に」

あぁ、この人もそうか。

『飛べない翼症候群』だったという人には、今までにも何度か声をかけられてことがある。その後は決まってこう続くのだ。

「大変だねぇ、同じ症状を経験したことがあるからわかるよ。自分は早いうちに翼が取れたからいいけど、その歳で翼背負ってるって正直イタイよね〜」

別に好きで翼を背負ってるわけではない。同じ経験をしながら、相手の苦しみをまったく理解していない人ほどタチの悪いものはない。

「そうですか。じゃ、今は快適なんですね」

僕は、余計なことを言われたくなくて先にこう言った。でも、帰ってきた答えはまったく予想していない言葉だった。

「ううん、ちっとも。私、翼を失ったことを今でも引きずっているのよ」

すると、花岡さんは大学時代に出会った留学生の話をしてくれた。彼自身は『飛べない翼症候群』ではなかったが、友人知人の何人かにこの症例が当てはまり、自力で調べていたという。花岡さんも自分の症状を明かし、大学入学前に翼が消えてよかったと話すと、彼は思いがけないことを言った。

「翼はあった方がいいよ。大人になっても。だってそれは、とても大切な個性だから」

自分が経験したこともないのに、何て身勝手なとこを言う人だろう、と最初は花岡さんも良い印象を抱かなかった。でも、彼の友人たちはそれぞれ自分の翼を誇りにして、あえて隠そうとはしなかったという。そして、翼が消滅するときには仲間とフェアウェルパーティーを開き、感謝と惜別の想いを表したという。

「彼の友人で、成人しても翼が残っている人がいるの。その人ね、今はある大きなテーマパークのスタッフとして働いているんだけど、子どもたちに自分の翼を見せて今やパーク1の人気者になっているのよ」

僕は呆気に取られていた。僕以外で、成人しても翼が残る人物の話を聞いたのは初めてだった。しかも、それを活かして仕事をしているなんて…自分との圧倒的な差を感じた。

「それでね、今井さんの歩き方を見たときに学生時代の私を思い出してしまったの。何となく背中を隠すというか、庇っているような気がしたから。突然声をかけてしまってごめんなさい」

「いえ…あの、ありがとうございます」

僕は、花岡さんに深々と一礼した。初対面の僕を呼び止めて、こんな話をしてくれる勇気と優しさが嬉しかった。

「あ、あとね、もうひとつ」

花岡さんは急に小声になった。

「さっきのテーマパークのことが総務でも話題になってね、来年からあなたのように成人後も翼を持つ社員には何らかの補助が出るかもしれないの」

「えっ、ホントですか⁈」

「まだ『かもしれない』としか言えないけど。でも、一般社員より負担は大きいだろうし、できるだけみんなで働きやすい環境にしたいって話は進んでいるわ」

そうか、僕は今までこの翼を隠すことばかり考えてきたけれど、これからはこの翼を生かし、ともに生きることができるかもしれない。

「花岡さん、ありがとうございます。お話できてよかったです。今日からちょっとだけ、自分の翼を好きになれそうです」

僕はあらためて花岡さんに礼を言って、自分の部署に戻ろうと歩き出した。

「今井さん、背中!」

花岡さんに言われ、無意識に背中を丸めていた自分に気づく。自分の個性として完全に受け入れるにはまだ時間がかかりそうだ。

11/12/2023, 9:53:17 AM